「ピアノは練習しなくても、うまくなる」と前のアレクサンダーテクニークの先生から言われましたが、本当ですか?

打鍵の際に手首を柔らかくある生徒さんが、2回目に受講されたときに、私に向かってこうおっしゃいました。

「実は以前に別のアレクサンダーテクニークの先生からレッスンを受けていました。

その先生から、”ピアノは練習しなくても、うまくなる”と言われたのですが、本当ですか?」

 

私はちょっと考えてから、用心深く答えました。

 

その方にとって、それが事実かどうか、私には分かりませんが、もしかしたら、その発言をされた方にはそのような実感があり、強く確信されているのかもしれません。そういった可能性はあります。

 

しかしながら、私には別の考えがあります。

 

作品演奏するということは、作品を完成させることです。より正確に言えば、演奏を完成させるのは聴衆ですが、演奏家が完成したものを演奏しなければ、聴衆も作品を完成させることはできません。

 

では演奏する作品はなにかというと、稀代の天才たちが手がけた作品です。

 

この作品がどういう作品かということについて、楽譜を読み解く必要があります。

彼あるいは彼女がどういう方で、作品を書いたときにどういう心境にいたのかということを知ることが、読み解くのに役立つかもしれない。あるいは演奏家自身のなんらかの経験がなければ、読み解くことができないかもしれない。

 

練習しているときに、あるいは場合によっては本番の演奏中に”ひらめき”が起こって、これまで分からなかった、曲のなかのフレーズとフレーズの関係性が浮かび上がってくるかもしれない。

 

でも、そういったことが起こるためには、内面に起こったことを身体で表現できる能力が必要です。その能力は、適切な練習によってのみ身につけることができます。

 

人間というのは、不思議な存在で、仮にアレクサンダーテクニークをしばらく学んで、音楽を身体で表現できるようになった人であっても、昔コンサートで失敗した曲や、かつて「からだ」を潰しながら一生懸命練習した曲をたまに演奏すると、急にかつてのような「からだ」の使い方に戻って、窮屈になってしまうことがあります。

脳科学的にもソマティック・マーカー仮説を使うと、そういった経験を説明できます。

 

舞台の本番、発表会であっても、コンサートであっても、あるいはピアノの先生とのレッスンであっても、練習のときに起こった不安定な要素は数倍から数十倍に拡大されることがあります。

 

だから、そういった不安定な要素を減らすためにも。練習は必要です。

脳科学では、ピアノを演奏する、自転車に乗るなどの技能を必要とするアクティビティの記憶は、長期記憶のひとつの手続き記憶と言われています。そして、手続き記憶はアクティビティを行うときに、かつては新しい記憶をするときにのみ使われると考えられていた、記憶固定タンパク質を必要とすることが分かってきました。

 

だから、「からだ」の使い方に注意を向けて、言い換えると私たち自身へのじゃまをやめて演奏することによって、私たちは演奏の技能をより洗練させていくことができます。練習のみが技能を向上させると言ってよいのです

逆に「からだ」を窮屈にして演奏すれば、演奏はどんどん負の連鎖をたどって、質が落ちます。

 

 

だから、練習には、質を伴った、ある程度の量が必ず必要になります。

 

これが私の考えです。

 

 

もっとも、演奏する人たちのなかには、作品を完成させるために演奏する方たちばかりではなく、単なるコミュニケーション手段として演奏する人もいます(『アレクサンダ-・テクニックの使い方』芳野 香 著  誠信書房を参照)。

そういう方たちにとっては、”それっぽいこと”、”それらしく見えたり聴えたり”することをすれば事足りるのでしょうから、練習はそれほど必要ないかもしれません。

 

 

別の可能性として、以前に1日18時間も練習していた方が、1日3時間から6時間くらいの練習で、以前よりもっと弾けるようになったら、ピアノは練習しなくても、上手くなると思ってもおかしくありません。

 

 

歴史を振り返ると、ショパンやリストの時代には「指を鍛えなければならない」として、メジャーリーグ養成ギブスのような器具(カイロプロスト)を生徒につけさせるという極端な練習方法を推奨する教師がいました。そのような練習方法で、怪我をする若いピアニストが後を絶たなかったことは言うまでもありません。(『ピアニストの手』 酒井直隆 著 音楽之友社 41-42頁を参照した)。

また、20世紀半ばにルイジ・ボンベンジェールが、観念運動学というものを説き、ピアノを演奏するときには肉体的運動を考える必要はない、つまり 指や手がや腕がどのように動くか考えてはいけないという極端な指導法をする人まで現れました(前掲 57-58頁を参照した)。これなどは、うまくなるためには練習してはいけないという極端な立場です。

 

このような歴史をご存知でいらしたら、そのアレクサンダー教師も、そのような極端な表現をしなかったもしれません。

 

生徒さんは、「その答えを聞いて、私の混乱はおさまりました」とおっしゃいました。

 

 

 

 

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