アレクサンダーテクニークのレッスンを熱心にご受講くださっている、ボサノヴァのフルート奏者大久保はるかさんによる、日本フルート協会会報に掲載されたアレクサンダーテクニークのレッスン・レポートその2です。
大久保はるかさんと日本フルート協会のご厚意により、転載させていただきます。
引用元 日本フルート協会会報 No.232 2012年6月号
フルートとアレクサンダーテクニーク 2
以下、日本フルート協会に提出した原稿の完全パイロット版です。《 フルート演奏における身体コンディション調整とアレクサンダーテクニーク 2 》大久保はるか (No.5357)
4月11日 アレクサンダーテクニークの個人レッスン
4月といえば新学期がスタート、新入生、新入社員、新生活、など『新』という言葉が多く交わされる節目の時期である。今回で2回目の投稿となるアレクサンダーテクニーク受講記録だが、大分以前より第2回目の記事は4月頭のレッスンから書くことにしようと決めていた。理由はただ単に新たな気持ちで生き生きとアレクサンダーテクニークのレッスンに臨めそうな気がしたから、という事だけだったのだが、人間いつどこで何が起きるか分からないものだ。3月中にかかった風邪と花粉症が治った後カラ咳だけが長く残ってしまい、アレクサンダーテクニークのレッスン日の前日行った病院で『せき喘息』と診断された。フルートを演奏するような事態ではなくなってしまったのだ。
駅からアレクサンダーテクニークのレッスン会場までは急坂を登る。薬の副作用によるものなのか動悸が激しく、通常より2倍ぐらい息苦しく感じた。やはり今は安静が必要ということなのであろう。
先生には「そういえば、フルート協会の次の記事はいつぐらいから書き始めるご予定ですか?」と聞かれ、
私「正直な話、執筆意欲が全く沸きません。あと、なんと言いますか、今の私ですと病気の話から書かざるを得ない訳でして、ああ、カッコ悪いなあ。出来る事ならそういう弱い所を公にさらしたくはない、と思うわけです・・・」
先生「アレクサンダーテクニークの教師になるためのトレーニングコースというものがあります。資格修得までは3年以上はかかります。(註1)それにはいくつも理由があるのですが、そのなかの1つに次のようなものがあります。すなわち、3年という年月の中では色々な事が起こります。心身共に健康な時ばかりではなく、体調が悪い時、体調こそ良くても仕事が上手くいかなかったり、身内に不幸があったりと」
「その辛い時期の過ごし方というのが実は重要でして、そういった経験を糧にして自分を一回り大きく成長させるための準備期間という意味もあると思うのです。そしてこれは何もアレクサンダーテクニークの教師を目指す人達に限ったことではなく、誰にでもあてはめて考える事が出来るように思うのですが」
「それに、今の大久保さんの状態に共感する読者の方々は絶対いらっしゃると思いますよ」とも。
これらの先生のお言葉には大変励まされました。何か吹っ切れないような所があり記事を書くペンが進まなかった自分ですが、今は今、として書いてゆこうと思います。
この日はセミスーパイン semi-supine(註2)と呼ばれるワークを行った。このワークは教師と一緒に行うときにはテーブルワーク(テーブルの上で行うとき)とかフロワーワーク(床の上で行うとき)と呼ばれる。例えば、テーブルの上にヨガマットを敷いて、生徒はその上に仰向けに横たわる。頭の下には薄い本を数冊置く。置く冊数は生徒に合わせ調整する。足は両膝が天井を向くぐらいの角度で曲げる。
このポーズ、実はイギリスのトレヴァー・ワイ氏のスタジオでレッスンを受けていた頃、トレヴァー先生に教えて頂いたリラックスのポーズ(トレヴァー・ワイ フルート教本 第2巻【テクニック】改訂新版 P.30参照)と同ポーズで、その時には「フルートの練習で疲れた時に行うと良いですよ。俳優である友人から習ったんですよ」とのお話だけ頂いていた。留学中はほぼ毎日行っていたのだが、その頃はてっきりヨガのポーズか何かなのだと思い込んでいた。帰国してしばらく経った後、これがアレクサンダーテクニークで補助的に行う(註3)ワークだったということが分かった時には心底驚いたものだ。
このテーブルワーク、教師は手と言葉を使って、生徒にからだ全体が広がっていく方向を促しながら、生徒の頭を左右にゆっくりと転がしたり、腕を片腕づつ軽く上に持ち上げたり戻したしたりなど、パーツごとに動かしてゆく。言葉で説明するのは大変難しいのだが、超ソフト整体マッサージに近いイメージ、と言ったら分かりやすいだろうか。とはえ俗に言うマッサージの施術とは明らかに違う。
一番最初にこのワークを受けた約3年前、あまりにも不思議な動かされ方をするので戸惑ってしまい、「すみません、何をどうしている、ということなのでしょうか」と質問したことがある。その時には「ただ、あなたの頭はここにあって、首はこのような可動性があって、腕は肩甲骨のところからこの様につながっていて、ここでこういう風に曲がる、など、確認をして差し上げている。ただそれだけなんですよ」とのお話でした。
そしてこの日の私だが、やはり数分に1回以上は咳き込んでしまうという酷い状態だった。仰向けに横たわっていると、咳を一度する際全身の筋肉がキュッと縮こまってしまうことが背中側から容易に感じとれる。普段健康な時にはこのワーク終了後は余計な筋肉の緊張がほぐれ、自分が一回り大きくなったかのような良い感覚があるのだが、この日は自分の咳がせっかくの体の解放のための過程を一々ぶち壊しにかかっているような、全くもって残念な状態にあった。
仰向けに横たわった状態の私の足の裏を、先生が軽く触るか触らないかのところでハンズ・オン Hands On し、「今、呼吸と共にこの足の裏までの全身がわずかに動いていることが確認取れますか?」とおっしゃった際、ハッとするような気づきがあった。
咳をして苦しくなるのは喉や呼吸器官であり、当然苦しいところ、痛いところに意識が向ってゆくのが人間としての本能だと思う。それでは、と、その咳を押さえる薬を飲むと副作用で動悸が起き、その際には心臓に意識が向ってゆく。しばらくそのようなことが続くと、大げさな言い方だが自分という動物は、喉と呼吸器官、心臓の3つだけしか持ち合わせていないんじゃないか、というような末恐ろしい感覚に陥りそうになる時がある。つまり直接の痛みを感じていない、病を患っていないパーツ、腕や脚、その他の臓器などは、まるで意識からスッポリと抜け落ちて、その存在ごと忘れてしまいがちなのだ。
先生に足の裏をハンズ・オンされて「ああ、私には足というものがあり(笑)、呼吸とは、足の先までの全身運動だったのか」とあらためて気づかされた。
4月25日 アレクサンダーテクニークの個人レッスン
アレクサンダーテクニークのレッスン会場は、駅から急坂を5分程登った丘の上にある。会場に向う坂道の途中には大きな桜の木が数本あり、2週間前には満開だった桜が今日はすべて散っていた。そのかわり施設周辺の公園内にはチューリップやつつじなど色とりどりのたくさんの花が春の香りを運んでいた。
2週間前のアレクサンダーテクニークのレッスンでは自分の病気のことで頭がいっぱいで、満開だった桜を楽しむ余裕など一切なかったことを思い出した。実のところ桜が咲いていた事など殆ど気がつかなかった程だった。あの時はよっぽどうつむいて縮こまり、まるで這うように歩いていたらしい。
今日は「ああ、桜は散ったけれどチューリップが満開だな」など周辺の景色を楽しむゆとりがあったことで、2週間前に比べ自分の病状も落ち着いてきたということなのかもしれないな、と感じた。
アレクサンダーテクニークのレッスン冒頭で先生が「その後、お加減はいかがですか?」とおっしゃるので、幸い薬が効いていて症状は良くなってきていることを告げる。その中で最近気になるのは、薬のせいによるものか自分の筋肉に対する感覚が今一歩疎くなっている嫌いがあることをお話しする。
「例えば物を持ち上げるとき、この位の力具合で、このように体を使って、という感覚がわからなく、計れなくなっています。それと、ちょっとした動きをしただけで筋肉のスジを違えてしまうことが増えました。寝違えてしまった時と同じような状態が日常のちょっとした動作中に起こってしまう、という感じでしょうか。困っています」
そしてテーブルワークに入った。テーブルワークは2週間前のレッスンで行ったばかりなのだが、アレクサンダーテクニークのレッスンではその都度その都度、違う角度からのフレッシュな気づきをもたらされる。「また同じ事(ワーク)をやるのか」というような気持ちにさせられたことは過去一度もない。その日、その時の自分のコンディションというのは、後にも先にもその日その時限りのものだからなのかもしれない。
頭の下に置く本の冊数について、「これぐらいで良いですか?少し(枕として)高すぎる感じ?1冊抜きますか?」と質問されて、
「・・・・??・・すみません、正直わからない感じなんです。なんでしょうか?判断出来ないんです。というのは、ここ最近咳ばっかりしていたら何となく体の骨格のバランスそのものが根本から崩れてしまった感じがしていて、骨と骨がどこか大きくずれてしまっているのでは?と自分で疑ってしまうような・・・・中でも一番疑ってしまうのは骨盤です。最近腰が痛いので、もしかして骨盤がずれてきているのでは?などの考えばかりが先に立ってしまっています」と申し上げたら、「それでは、」と、先生は大腿骨(だいたいこつ、太ももの骨)をハンズ・オンなさった。
腰が痛くて、と申し上げているはずが、先生は腰ではなく太ももの骨をハンズ・オン。「何故ですか?」と質問する間もなく、「太ももの骨のことを思ってみましょう。骨の内部には骨髄と言われる組織があって、赤くてドロドロして血液を作っています。私の両手を使って、そういうものがあるのだなと思ってみます。」(註4)
私たちが普段食べ物でよく目にする動物の骨は、すべて死んだ動物の骨であるが故、「骨を想像してください」と言われると、つい死んで乾いてしまっている動物の骨をイメージしてしまいがち。実際のところ、生きている動物の骨の内部は、血液細胞を産生する造血組織があったり、血管が走行している。骨は、我々が想像するよりもはるかに潤っていてみずみずしいものなのだそうです。
そのような説明を受け『生きている動物の骨』を想像してみた時、太もも周辺にかかっていた余計な筋肉の緊張がスッと抜け落ちたような感覚があった。すると同時に腰の辺りの筋肉の張りがゆるんだのか、お尻を少し前の方にずらしたくなるような感覚があった。
その後ワークを終えゆっくりと起き上がった際、腰痛は全く消えていたので驚いた。
筋肉の名称で言うと、胴体の正面から脚に向かう大腰筋(だいようきん)、胴体の後ろから脚に向かう大臀筋(だいでんきん)という大きな2つの筋肉が適度にリリースされより柔軟に働くようになった結果、ということらしい。
5月7日 アレクサンダーテクニークのグループレッスン
アレクサンダーテクニークのレッスン日前日の夜、いつも一緒に演奏している音楽仲間のご家族の訃報を知らされ、その後色々な事、人の生死などについて深く考え込んでしまっていたら眠れなくなり、この日は殆ど一睡もしていない状態でレッスン会場に向う。
アレクサンダーテクニークのレッスン冒頭では、先生より「その後、最近いかがですか?」など、一人一人インタビューを受けるのだが、上記の理由で一睡もしていない旨はお伝えしなかった。いくら考えても結論の出ないような堂々巡りの考えを断ち切るには、メンタルケアを先に望むよりフィジカル面からのアプローチにトライしてみたい、という希望があったためです。
本当は楽器を演奏するような気分ではなかった。しかもこの日はグループレッスン。他の生徒さん達の前に立って演奏を強いられるので、より一層気が乗らなかったのだが、その気持ちは自分の中で一旦伏せておくことにして、とりあえず楽器を組立て軽く音だしをしてみる。
先生「(音を出してみて)どうですか?」
私「・・・・・・、まあ、そんなには悪い調子ではないような・・・・・、あ、そういえば思い出したことがあります。数日前の本番中、自分のブレスをする時の音がうるさいな、と思ったのですが、止める事が出来ませんでした」
先生「それは、F.M.アレクサンダー氏が、ご自身に対して一番最初に気がついた癖ですよ。(註5)そのアレクサンダーが考えた手順の1つをアレクサンダーテクニークの原理にしたがって、やってみましょう。」
とおっしゃり、壁を使って行う 『ウォールワーク』(註6)を行った。
壁に向って立ち、両手のひらを軽く壁につける。まずは壁の上の方に向って手のひらで歩いてゆくような動きをする。その後今度は壁の下の方に向って同様の動きをする。動きに合わせだんだんと腰をかがめてゆき、最後はしゃがみこんだ姿勢になる。そこからまた徐々に上に向って手のひらで歩いてゆき、元の立った姿勢に戻る。この上下運動を繰り返す。
このワークを行う際、特に気をつけたいのは腰をかがめてゆく時なんだそうです。(註7)立っている姿勢から腰をかがめてゆくとき、今から進んでゆく地面の方向にばかり意識が向い過ぎるあまり、からだのすべてを下の方向に向って自分で押し潰してしまうような動きを伴ってしまいがちなんだそうです。
確かに言われてみれば、立っていて単に腕を上に上げてゆく動作時に比べ、下に体ごとかがんでゆくような動作をする時には、なんとなく呼吸が薄くなっていることが多い。肺を風船のようなものに例えた場合、腰をかがめ、ひざを徐々に曲げてしゃがみこんでゆく動作の時は、動きに合わせ風船そのものが徐々にしぼんでいってしまうようなイメージを伴ってしまっているのかもしれない。
先生が背後から私の肋骨あたりをハンズ・オン Hands On し、「今から下の方向にかがんで行きますが、大久保さんの肋骨は、逆にななめ上の方向(写真参照:おかれた先生の手で説明すると、先生の指先から手首に向った方向)にふくらんでゆくことを許してください」
この一言と先生のハンズ・オンにより、『呼吸が入った』感じがした。
その後、今度は手のひらではなく指先のみで歩いてゆく、というバリエーション。人差し指と中指で歩いてゆく、次に中指と小指で歩いてゆく、など。
私「あ、この動き、もしかして楽器の指の練習に使えるかもしれません。トリルのプレ練習とか・・・(笑)。あ、でも、フルートの場合はずっと押さえていないといけない指があるので・・・」
先生「その場合は、指を歩かせず、壁に固定して行い、時々壁に置く手の位置をずらす(肩の高さ、頭の高さ、など)と良いのでは」
それでは、と、高音域D-Eのトリル、中音域D-♯D(D-Dis)、中音域D-Eなどの指の動きに挑戦。
その後すぐにフルートを持って同じ運指を行ったら、信じられないぐらい軽やかに指が動いた。呼吸も楽。一生懸命に息を吸いいれようとしなくても勝手に息が入ってくる。
管楽器演奏では 『背中にも息を入れるように』 と言ったりすることがあるが、まさにこのことか、と実感した。
アレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこ氏による註釈
(註1)アレクサンダーテクニークの資格認定は、下記の挙げる国際的な複数の協会が行っている。
STAT(The Society of the Teachers of the Alexander Technique)
AmSAT,GLAT、SVLAT、AUSTATなどのSTATの提携団体
ATI(Alexander Technique International)
ITM(Interactive Teaching Method)
PAAT(The Professional Association of Alexander Teachers)(註2)セミスーパイン(semi-supine)ポジション 半分あおむけになった格好のこと。膝を立てていることから、「半分」と呼ぶ。
(註3)アレクサンダーテクニークは、第1義的には、さまざまな精神的・肉体的活動中に、何かをしようとした時に現れる反応を変えていくワーク=癖(くせ)をやめていくワークである。したがって日常での実践には、特別な時間や場所を選ぶ必要がなく、いつでも行うことができる。
しかし、セミスーパインのように、癖によって縮んだ「からだ」を解放する手順もある。(註4)このワークは、ベテランのアレクサンダーテクニーク教師でボディマッピングの創始者である、ウィリアム・コナブル博士の「7層のボディマッピング」と呼ばれる手順の一部である。
(註5)アレクサンダーテクニークの発見者、F.M.アレクサンダー氏(1869-1955)は舞台俳優であった。息継ぎのときに起こるうるさい呼吸音を「あえぎ声」と表現していた。その「あえぎ声」は彼自身が発声するときに頭を胴体の方に押し下げて、喉頭を圧迫したために起きたことであった。当初アレクサンダー氏はそれを解決することができず、結果的に舞台で声が出なくなった。その舞台で声を失った経験が、今日アレクサンダーテクニークと呼ばれる、自分自身ぜんたいを解放して、能力を出しきることを可能にするワークを発見する契機となった。
(註6)F.M.アレクサンダー氏の姪っ子で、直弟子でもあったマージョリー・バーロウ氏(1915‐2006)と同じく直弟子であった夫のウィルフレッド・バーロウ博士(医師)が発展させた複数の手順。今回ご紹介した手順の他にも、さまざまなものがある。彼らや彼らの弟子たちが、その手順を公開したために、バーロウ夫妻直系でない教師たちも学ぶことができるようになった。
(註7)多くの方は他にも手を上に持ち上げてゆくときに、背中を押し下げながら行ってしまいがちになる(結果として腕はとても重くなる)。大久保さんは、その癖から自由であった。
アレクサンダーテクニークの学校のメルマガ
アレクサンダーテクニークのレッスンを熱心にご受講くださっている、ボサノヴァのフルート奏者大久保はるかさんによる、日本フルート協会会報に掲載されたアレクサンダーテクニークのレッスン・レポートその2です。
大久保はるかさんと日本フルート協会のご厚意により、転載させていただきます。
引用元 日本フルート協会会報 No.232 2012年6月号
フルートとアレクサンダーテクニーク 2
以下、日本フルート協会に提出した原稿の完全パイロット版です。《 フルート演奏における身体コンディション調整とアレクサンダーテクニーク 2 》大久保はるか (No.5357)
4月11日 アレクサンダーテクニークの個人レッスン
4月といえば新学期がスタート、新入生、新入社員、新生活、など『新』という言葉が多く交わされる節目の時期である。今回で2回目の投稿となるアレクサンダーテクニーク受講記録だが、大分以前より第2回目の記事は4月頭のレッスンから書くことにしようと決めていた。理由はただ単に新たな気持ちで生き生きとアレクサンダーテクニークのレッスンに臨めそうな気がしたから、という事だけだったのだが、人間いつどこで何が起きるか分からないものだ。3月中にかかった風邪と花粉症が治った後カラ咳だけが長く残ってしまい、アレクサンダーテクニークのレッスン日の前日行った病院で『せき喘息』と診断された。フルートを演奏するような事態ではなくなってしまったのだ。
駅からアレクサンダーテクニークのレッスン会場までは急坂を登る。薬の副作用によるものなのか動悸が激しく、通常より2倍ぐらい息苦しく感じた。やはり今は安静が必要ということなのであろう。
先生には「そういえば、フルート協会の次の記事はいつぐらいから書き始めるご予定ですか?」と聞かれ、
私「正直な話、執筆意欲が全く沸きません。あと、なんと言いますか、今の私ですと病気の話から書かざるを得ない訳でして、ああ、カッコ悪いなあ。出来る事ならそういう弱い所を公にさらしたくはない、と思うわけです・・・」
先生「アレクサンダーテクニークの教師になるためのトレーニングコースというものがあります。資格修得までは3年以上はかかります。(註1)それにはいくつも理由があるのですが、そのなかの1つに次のようなものがあります。すなわち、3年という年月の中では色々な事が起こります。心身共に健康な時ばかりではなく、体調が悪い時、体調こそ良くても仕事が上手くいかなかったり、身内に不幸があったりと」
「その辛い時期の過ごし方というのが実は重要でして、そういった経験を糧にして自分を一回り大きく成長させるための準備期間という意味もあると思うのです。そしてこれは何もアレクサンダーテクニークの教師を目指す人達に限ったことではなく、誰にでもあてはめて考える事が出来るように思うのですが」
「それに、今の大久保さんの状態に共感する読者の方々は絶対いらっしゃると思いますよ」とも。
これらの先生のお言葉には大変励まされました。何か吹っ切れないような所があり記事を書くペンが進まなかった自分ですが、今は今、として書いてゆこうと思います。
この日はセミスーパイン semi-supine(註2)と呼ばれるワークを行った。このワークは教師と一緒に行うときにはテーブルワーク(テーブルの上で行うとき)とかフロワーワーク(床の上で行うとき)と呼ばれる。例えば、テーブルの上にヨガマットを敷いて、生徒はその上に仰向けに横たわる。頭の下には薄い本を数冊置く。置く冊数は生徒に合わせ調整する。足は両膝が天井を向くぐらいの角度で曲げる。
このポーズ、実はイギリスのトレヴァー・ワイ氏のスタジオでレッスンを受けていた頃、トレヴァー先生に教えて頂いたリラックスのポーズ(トレヴァー・ワイ フルート教本 第2巻【テクニック】改訂新版 P.30参照)と同ポーズで、その時には「フルートの練習で疲れた時に行うと良いですよ。俳優である友人から習ったんですよ」とのお話だけ頂いていた。留学中はほぼ毎日行っていたのだが、その頃はてっきりヨガのポーズか何かなのだと思い込んでいた。帰国してしばらく経った後、これがアレクサンダーテクニークで補助的に行う(註3)ワークだったということが分かった時には心底驚いたものだ。
このテーブルワーク、教師は手と言葉を使って、生徒にからだ全体が広がっていく方向を促しながら、生徒の頭を左右にゆっくりと転がしたり、腕を片腕づつ軽く上に持ち上げたり戻したしたりなど、パーツごとに動かしてゆく。言葉で説明するのは大変難しいのだが、超ソフト整体マッサージに近いイメージ、と言ったら分かりやすいだろうか。とはえ俗に言うマッサージの施術とは明らかに違う。
一番最初にこのワークを受けた約3年前、あまりにも不思議な動かされ方をするので戸惑ってしまい、「すみません、何をどうしている、ということなのでしょうか」と質問したことがある。その時には「ただ、あなたの頭はここにあって、首はこのような可動性があって、腕は肩甲骨のところからこの様につながっていて、ここでこういう風に曲がる、など、確認をして差し上げている。ただそれだけなんですよ」とのお話でした。
そしてこの日の私だが、やはり数分に1回以上は咳き込んでしまうという酷い状態だった。仰向けに横たわっていると、咳を一度する際全身の筋肉がキュッと縮こまってしまうことが背中側から容易に感じとれる。普段健康な時にはこのワーク終了後は余計な筋肉の緊張がほぐれ、自分が一回り大きくなったかのような良い感覚があるのだが、この日は自分の咳がせっかくの体の解放のための過程を一々ぶち壊しにかかっているような、全くもって残念な状態にあった。
仰向けに横たわった状態の私の足の裏を、先生が軽く触るか触らないかのところでハンズ・オン Hands On し、「今、呼吸と共にこの足の裏までの全身がわずかに動いていることが確認取れますか?」とおっしゃった際、ハッとするような気づきがあった。
咳をして苦しくなるのは喉や呼吸器官であり、当然苦しいところ、痛いところに意識が向ってゆくのが人間としての本能だと思う。それでは、と、その咳を押さえる薬を飲むと副作用で動悸が起き、その際には心臓に意識が向ってゆく。しばらくそのようなことが続くと、大げさな言い方だが自分という動物は、喉と呼吸器官、心臓の3つだけしか持ち合わせていないんじゃないか、というような末恐ろしい感覚に陥りそうになる時がある。つまり直接の痛みを感じていない、病を患っていないパーツ、腕や脚、その他の臓器などは、まるで意識からスッポリと抜け落ちて、その存在ごと忘れてしまいがちなのだ。
先生に足の裏をハンズ・オンされて「ああ、私には足というものがあり(笑)、呼吸とは、足の先までの全身運動だったのか」とあらためて気づかされた。
4月25日 アレクサンダーテクニークの個人レッスン
アレクサンダーテクニークのレッスン会場は、駅から急坂を5分程登った丘の上にある。会場に向う坂道の途中には大きな桜の木が数本あり、2週間前には満開だった桜が今日はすべて散っていた。そのかわり施設周辺の公園内にはチューリップやつつじなど色とりどりのたくさんの花が春の香りを運んでいた。
2週間前のアレクサンダーテクニークのレッスンでは自分の病気のことで頭がいっぱいで、満開だった桜を楽しむ余裕など一切なかったことを思い出した。実のところ桜が咲いていた事など殆ど気がつかなかった程だった。あの時はよっぽどうつむいて縮こまり、まるで這うように歩いていたらしい。
今日は「ああ、桜は散ったけれどチューリップが満開だな」など周辺の景色を楽しむゆとりがあったことで、2週間前に比べ自分の病状も落ち着いてきたということなのかもしれないな、と感じた。
アレクサンダーテクニークのレッスン冒頭で先生が「その後、お加減はいかがですか?」とおっしゃるので、幸い薬が効いていて症状は良くなってきていることを告げる。その中で最近気になるのは、薬のせいによるものか自分の筋肉に対する感覚が今一歩疎くなっている嫌いがあることをお話しする。
「例えば物を持ち上げるとき、この位の力具合で、このように体を使って、という感覚がわからなく、計れなくなっています。それと、ちょっとした動きをしただけで筋肉のスジを違えてしまうことが増えました。寝違えてしまった時と同じような状態が日常のちょっとした動作中に起こってしまう、という感じでしょうか。困っています」
そしてテーブルワークに入った。テーブルワークは2週間前のレッスンで行ったばかりなのだが、アレクサンダーテクニークのレッスンではその都度その都度、違う角度からのフレッシュな気づきをもたらされる。「また同じ事(ワーク)をやるのか」というような気持ちにさせられたことは過去一度もない。その日、その時の自分のコンディションというのは、後にも先にもその日その時限りのものだからなのかもしれない。
頭の下に置く本の冊数について、「これぐらいで良いですか?少し(枕として)高すぎる感じ?1冊抜きますか?」と質問されて、
「・・・・??・・すみません、正直わからない感じなんです。なんでしょうか?判断出来ないんです。というのは、ここ最近咳ばっかりしていたら何となく体の骨格のバランスそのものが根本から崩れてしまった感じがしていて、骨と骨がどこか大きくずれてしまっているのでは?と自分で疑ってしまうような・・・・中でも一番疑ってしまうのは骨盤です。最近腰が痛いので、もしかして骨盤がずれてきているのでは?などの考えばかりが先に立ってしまっています」と申し上げたら、「それでは、」と、先生は大腿骨(だいたいこつ、太ももの骨)をハンズ・オンなさった。
腰が痛くて、と申し上げているはずが、先生は腰ではなく太ももの骨をハンズ・オン。「何故ですか?」と質問する間もなく、「太ももの骨のことを思ってみましょう。骨の内部には骨髄と言われる組織があって、赤くてドロドロして血液を作っています。私の両手を使って、そういうものがあるのだなと思ってみます。」(註4)
私たちが普段食べ物でよく目にする動物の骨は、すべて死んだ動物の骨であるが故、「骨を想像してください」と言われると、つい死んで乾いてしまっている動物の骨をイメージしてしまいがち。実際のところ、生きている動物の骨の内部は、血液細胞を産生する造血組織があったり、血管が走行している。骨は、我々が想像するよりもはるかに潤っていてみずみずしいものなのだそうです。
そのような説明を受け『生きている動物の骨』を想像してみた時、太もも周辺にかかっていた余計な筋肉の緊張がスッと抜け落ちたような感覚があった。すると同時に腰の辺りの筋肉の張りがゆるんだのか、お尻を少し前の方にずらしたくなるような感覚があった。
その後ワークを終えゆっくりと起き上がった際、腰痛は全く消えていたので驚いた。
筋肉の名称で言うと、胴体の正面から脚に向かう大腰筋(だいようきん)、胴体の後ろから脚に向かう大臀筋(だいでんきん)という大きな2つの筋肉が適度にリリースされより柔軟に働くようになった結果、ということらしい。
5月7日 アレクサンダーテクニークのグループレッスン
アレクサンダーテクニークのレッスン日前日の夜、いつも一緒に演奏している音楽仲間のご家族の訃報を知らされ、その後色々な事、人の生死などについて深く考え込んでしまっていたら眠れなくなり、この日は殆ど一睡もしていない状態でレッスン会場に向う。
アレクサンダーテクニークのレッスン冒頭では、先生より「その後、最近いかがですか?」など、一人一人インタビューを受けるのだが、上記の理由で一睡もしていない旨はお伝えしなかった。いくら考えても結論の出ないような堂々巡りの考えを断ち切るには、メンタルケアを先に望むよりフィジカル面からのアプローチにトライしてみたい、という希望があったためです。
本当は楽器を演奏するような気分ではなかった。しかもこの日はグループレッスン。他の生徒さん達の前に立って演奏を強いられるので、より一層気が乗らなかったのだが、その気持ちは自分の中で一旦伏せておくことにして、とりあえず楽器を組立て軽く音だしをしてみる。
先生「(音を出してみて)どうですか?」
私「・・・・・・、まあ、そんなには悪い調子ではないような・・・・・、あ、そういえば思い出したことがあります。数日前の本番中、自分のブレスをする時の音がうるさいな、と思ったのですが、止める事が出来ませんでした」
先生「それは、F.M.アレクサンダー氏が、ご自身に対して一番最初に気がついた癖ですよ。(註5)そのアレクサンダーが考えた手順の1つをアレクサンダーテクニークの原理にしたがって、やってみましょう。」
とおっしゃり、壁を使って行う 『ウォールワーク』(註6)を行った。
壁に向って立ち、両手のひらを軽く壁につける。まずは壁の上の方に向って手のひらで歩いてゆくような動きをする。その後今度は壁の下の方に向って同様の動きをする。動きに合わせだんだんと腰をかがめてゆき、最後はしゃがみこんだ姿勢になる。そこからまた徐々に上に向って手のひらで歩いてゆき、元の立った姿勢に戻る。この上下運動を繰り返す。
このワークを行う際、特に気をつけたいのは腰をかがめてゆく時なんだそうです。(註7)立っている姿勢から腰をかがめてゆくとき、今から進んでゆく地面の方向にばかり意識が向い過ぎるあまり、からだのすべてを下の方向に向って自分で押し潰してしまうような動きを伴ってしまいがちなんだそうです。
確かに言われてみれば、立っていて単に腕を上に上げてゆく動作時に比べ、下に体ごとかがんでゆくような動作をする時には、なんとなく呼吸が薄くなっていることが多い。肺を風船のようなものに例えた場合、腰をかがめ、ひざを徐々に曲げてしゃがみこんでゆく動作の時は、動きに合わせ風船そのものが徐々にしぼんでいってしまうようなイメージを伴ってしまっているのかもしれない。
先生が背後から私の肋骨あたりをハンズ・オン Hands On し、「今から下の方向にかがんで行きますが、大久保さんの肋骨は、逆にななめ上の方向(写真参照:おかれた先生の手で説明すると、先生の指先から手首に向った方向)にふくらんでゆくことを許してください」
この一言と先生のハンズ・オンにより、『呼吸が入った』感じがした。
その後、今度は手のひらではなく指先のみで歩いてゆく、というバリエーション。人差し指と中指で歩いてゆく、次に中指と小指で歩いてゆく、など。
私「あ、この動き、もしかして楽器の指の練習に使えるかもしれません。トリルのプレ練習とか・・・(笑)。あ、でも、フルートの場合はずっと押さえていないといけない指があるので・・・」
先生「その場合は、指を歩かせず、壁に固定して行い、時々壁に置く手の位置をずらす(肩の高さ、頭の高さ、など)と良いのでは」
それでは、と、高音域D-Eのトリル、中音域D-♯D(D-Dis)、中音域D-Eなどの指の動きに挑戦。
その後すぐにフルートを持って同じ運指を行ったら、信じられないぐらい軽やかに指が動いた。呼吸も楽。一生懸命に息を吸いいれようとしなくても勝手に息が入ってくる。
管楽器演奏では 『背中にも息を入れるように』 と言ったりすることがあるが、まさにこのことか、と実感した。
アレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこ氏による註釈
(註1)アレクサンダーテクニークの資格認定は、下記の挙げる国際的な複数の協会が行っている。
STAT(The Society of the Teachers of the Alexander Technique)
AmSAT,GLAT、SVLAT、AUSTATなどのSTATの提携団体
ATI(Alexander Technique International)
ITM(Interactive Teaching Method)
PAAT(The Professional Association of Alexander Teachers)(註2)セミスーパイン(semi-supine)ポジション 半分あおむけになった格好のこと。膝を立てていることから、「半分」と呼ぶ。
(註3)アレクサンダーテクニークは、第1義的には、さまざまな精神的・肉体的活動中に、何かをしようとした時に現れる反応を変えていくワーク=癖(くせ)をやめていくワークである。したがって日常での実践には、特別な時間や場所を選ぶ必要がなく、いつでも行うことができる。
しかし、セミスーパインのように、癖によって縮んだ「からだ」を解放する手順もある。(註4)このワークは、ベテランのアレクサンダーテクニーク教師でボディマッピングの創始者である、ウィリアム・コナブル博士の「7層のボディマッピング」と呼ばれる手順の一部である。
(註5)アレクサンダーテクニークの発見者、F.M.アレクサンダー氏(1869-1955)は舞台俳優であった。息継ぎのときに起こるうるさい呼吸音を「あえぎ声」と表現していた。その「あえぎ声」は彼自身が発声するときに頭を胴体の方に押し下げて、喉頭を圧迫したために起きたことであった。当初アレクサンダー氏はそれを解決することができず、結果的に舞台で声が出なくなった。その舞台で声を失った経験が、今日アレクサンダーテクニークと呼ばれる、自分自身ぜんたいを解放して、能力を出しきることを可能にするワークを発見する契機となった。
(註6)F.M.アレクサンダー氏の姪っ子で、直弟子でもあったマージョリー・バーロウ氏(1915‐2006)と同じく直弟子であった夫のウィルフレッド・バーロウ博士(医師)が発展させた複数の手順。今回ご紹介した手順の他にも、さまざまなものがある。彼らや彼らの弟子たちが、その手順を公開したために、バーロウ夫妻直系でない教師たちも学ぶことができるようになった。
(註7)多くの方は他にも手を上に持ち上げてゆくときに、背中を押し下げながら行ってしまいがちになる(結果として腕はとても重くなる)。大久保さんは、その癖から自由であった。
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