アレクサンダーテクニークの簡単な紹介
アレクサンダーテクニークは、芸事の上達に役立ったり、首こり・肩こり・腰痛などの違和感や痛みを軽減することに役立ちますが、人生そのものを変える効果があります。
F・M・アレクサンダー(1869-1955)※1によって発見され、彼の後継者たちによって再発見され続けている、今日アレクサンダーテクニークと呼ばれている方法は、私たちは気がつかずに行っている思い込みや先入観をやめることで、刺激に対する機械的な反応をやめていくことです。
そして、本当の自分自身の人生を選択してゆけるようになるのです。
アレクサンダーテクニーク関するオルダス・ハクスリーの記述
実は、このことについて詳細に書かれた方がいます。オルダス・ハクスリー(1894-1963)です。ご存知ない方がいらっしゃるかもしれませんが、かつてイギリスの著名な作家として知られた方です。
『多次元に生きる―人間の可能性を求めて』オルダス・ハクスレー著 片桐ユズル※2訳 コスモスライブラリーに収められた訳者による小伝によると、ハクスレーは
1930年代もせまりくるファシズムに反対しながら、しかも武器もとらないという絶対的平和主義を説いたために、左翼の知識人からも遠ざけられ、不眠症になり、執筆もできない状態のときに※3、F.M.アレクサンダーのレッスンを受け、奇跡的に回復して小説『ガザに盲いて』(1936年)を完成させました。
アレクサンダーテクニークの思想的意味を『目的と手段』(1937年)で解き明かそうとしました(後略)
ハクスレーがアレクサンダーテクニークについて書いた部分から引用します。かなり割愛しましたので、ご興味をお持ちの方は原著をお読みください。読みやすいように改行を加え、太字処理を施しました。
悪い習慣を発達させることにより意識的エゴと個人的潜在意識が、深層の非自己※4の正常な機能に干渉します。(中略)もしも心身的機能を教育しようとすれば、自分自身の光を遮らないようにする方法を訓練しなくてはなりません。(中略)熟達の秘密は、一見相容れない2つの状態を統合させることです。すなわち最大限の活動と最大限の弛緩※5です。(中略)
弛緩するべきはエゴと個人的潜在意識※6であり、活動するべきは植物的生命体※7と、それより向こう側にある 非自己たちです。わたしたちを助けてくれている身体的または霊的な非自己たちが 効率的にはたらけるためには、エゴと個人的潜在意識が干渉しなくなることを学習 しなくてはなりません。
デカルトの哲学全体は『私は思う、ゆえに私は存在する』に基づいていました。一見もっともですが、実はその通りではありません。ほんとうはフォン・バーター(1765-1841)が指摘したように、『私は思われる。ゆえに私は存在する』のです。
(中略)私が普通に自分と思っている自分を超えた、もっと偉大な意識によって思われているのです。(中略)もしも私が、ほんとうでない自分の光の範囲から出ることができるならば、私は光明を浴びることになります。
(中略)わたくしたちは意思というものを意識的に使わなくてはなりませんが、その目的はエゴが古い悪習慣に負けないようにするとか、内部の光が遮断されないようにするとか、そういった予防の目的で意思は使われるべきなのです。※8
(中略)弛緩と活動を組み合わせる方法はあらゆる種類の心身技術の教師たちによって創造され再創造されてきました。不幸にもこれらの教師たちの仕事は概して孤立して、自分自身の専門分野で行われてきました。
しかし(中略)恩恵についても、もしそれが孤立した特殊技術として教えられるかぎり、効果はすくないでしょう。それは筋感覚の一般教育として、自分の使い方の全般的訓練としてジョン・デューイ※9が暖かく推薦したアレクサンダーの考えにそって行われるのがのぞましいのです
ちなみに翻訳者の片桐ユズルさんは、1980年代からアレクサンダーテクニーク教師を日本に招聘されワークショップを主催され、後年日本人として最初に認定を受けたアレクサンダーテクニーク教師のひとりです。
2020年3月1日 以降を追記
ハクスレーと意味論的哲学の井筒俊彦
久しぶりに読んで、驚いたのは、ハクスレーが書いたことは、日本が世界に誇る意味論的哲学の井筒俊彦氏の述べたことと近接していることです。井筒俊彦氏は、近年文芸批評家の安藤礼二氏や若松英輔氏によって、広く紹介され、最近日本語全集に続いて、英語の論文の翻訳全集が慶応大学出版会から出版され、再び注目を集めています(ペルシア語論文の翻訳全集も刊行予定なのだそうです)。
井筒俊彦氏は、カール・グスタフ・ユング亡き後のエラノス会議をリードされた方で、言葉(表現)の背景にあるコトバ、意味、と言うよりもむしろ生命(いのち)、私たちに生き生きとしたインスピレーションを呼び起こす、世界の背後にある根源といかにして繋がるかについて、追求された方です。
井筒俊彦氏がハクスリーより進んでいる点は、私たちが日常経験している世界(浅層)と深層の世界とのあいだにM領域(中間境域あるいはマージナルな領域)を措定し、深層から我々の日常への通り道を言及したことです。
井筒俊彦氏については、このサイト内では次のコラムをご参照ください。
図解で明快!? アレクサンダーテクニークの原理あるいはアレクサンダーテクニークの注意の質-インスピレーションと繋がる方法
ハクスリーが書いていることは、古代の哲学者のプロティノスがすでに1000年以上前に述べていたことに、「身体的非自己」の部分について書くなど若干の生理学的な補足をしたに過ぎず、特に目新しいものはありません。そして取りも直さず、プロティノスの文章の完成度が高く、ハクスリーがそれをよく理解していたことの証左にほかなりません。
またハクスリーの用語は、プロティノスや意味論的哲学の井筒俊彦氏のような厳密さもありません。
アレクサンダーテクニークを初期に学んだ人の中に西洋の伝統的な知恵と結びつけようとした意義
それでも、F.M.アレクサンダーからアレクサンダーテクニークを直接学んだ生徒さんのなかに、西洋の伝統的な智慧とアレクサンダーテクニークの学びを結びつけようとした方がいたという点で、評価できるのではないでしょうか?
少なくとも、個人的には励まされました。
引用者注と解説
※1 F.M.アレクサンダー(アレクサンダーテクニークの発見者)
1869-1955 アレクサンダー・テクニークの発見者。元俳優。 舞台の上で声を失ったことがきっかけで、7年かけて問題に取り組む。
1890年代後半以降メルボルン、シドニーで教え、1904年に渡英。
精力的にレッスンを行い、ノーベル医学・生理学賞を受賞した生理学者のシェリントン卿、劇作家バーナード・ショー、政治や外交で活躍したリットン卿、英国医師会会長のピーター・マクドナルド医師、アメリカの哲学者ジョン・デューイ(アレクサンダーの3冊の著作の序を書いた)、アウストラロピテクスを発見した人類学者で医師のレイモンド・ダート博士などの有力者の支持を得た。
1930年代に後継者(教師)の育成を本格的に始めた。
年代的にはカール・グスタフ・ユングより6年早く生を受け、6年前に亡くなった。
詳しくはF.M.アレクサンダーを参照してください。
※2 片桐ユズルさんについて
ちなみに翻訳者の片桐ユズルさんは、元詩人、英文学者、英語教育者、一般意味論研究者で、1997年にATIから認定されたアレクサンダー教師です。
オルダス・ハクスレーの研究から、アレクサンダーテクニークに興味をお持ちになり、研究者として渡米中にアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けられ、帰国後1980年代に多くのアレクサンダー教師を招き、その後日本における4つのアレクサンダーテクニークの教師養成コース(今はなくなったものも含む)の開校に深くかかわられました。
なお引用に先立ち、片桐ユズル先生のご許可をいただきました。
※3 オルダス・ハクスリー
他書に、寝たきりになったと書いてあったが、どの本なのか忘れました。ローラ・ハクスレーの本だったかもしれません。
※4 深層の非自己
引用の個所の冒頭で、いきなり躓(つまづ)かれる方がいらっしゃるかもしれないので、補足します。
西洋の哲学に大きな影響を与えているプラトンやプロティノスなどの古代の哲学者たちは、私たちが経験している世界の元になっている世界を想定し、そちらを存在・実在(イデアとか一者等)と呼び、私たちの経験している世界を分節・展開された世界と考えました。
深層の世界は、自己に分節される以前なので、非自己になります。
このような考え方は、F.M.アレクサンダー(1869-1955)と同時代人の分析心理学のC.G.ユング(1875-1961)も、プロティノスの影響を受け、さらに自らの臨床経験を経て、採用しています。
プロティノスについては、このサイト内では、次のコラムをご参照ください。
※6 個人的潜在意識
ここでハクスリーの言う個人的潜在意識とは、F.M.アレクサンダーの言うところの潜在意識と同じ意味である。F.M.アレクサンダーは、刺激に対して、あたかも反射的に反応する私たちの働きを潜在意識と呼んだ(マイナスの意味を与えた)。
ハクスリーは、F.M.アレクサンダーのこの用語の用い方に同意しつつも、古代の哲学者のプロティノスの影響を受け、個人の深層に普遍的な非自己の領域を想定し、この文章では非自己たちと呼んでいる。
ハクスリーの用語の用い方が必ずしも厳密ではなく、大雑把であるので断言はできないが、プロティノスが、ト・ヘンすなわち一者から分節したヌースと呼んだ領域と、ハクスリーの”霊的な非自己“の一部は重なると引用者は考える。
この非自己たちと明確に区別するために、”個人的”潜在意識という造語を行ったと引用者は考える。
※7 植物的生命体
東京医科歯科大学や東京藝術大学で教授を務めた、医師で形態学者の三木成夫は、植物性器官として、吸収系(消化・呼吸系)と循環系(血液・脈管系)と排出系(泌尿・生殖系)を挙げている(『生命形態学序説-根原形象とメタモルフォーゼ』三木成夫著 うぶすな書院 103ページを参照した)。
「動物体で、呼吸・循環・消化・吸収・排出・代謝・生殖などにかかわる器官。植物にも共通の機能であるところからいう」
(デジタル大辞泉の植物性器官より引用)
しかし、最近では、動物性器官の運動・体壁系の筋肉が、自律神経の働きによって、緊張したり(筋交感神経活動)、完全に力が抜けて働かなくなったりすることも分かっており、このような区分が学問上今後も保持されることについては、個人的には疑問に感じている。
※8
プロティノスの次の文章をご覧になると、ハクスリーの文章が酷似していることを了解されるだろう。
※9 ジョン・デューイ
プラグマティズムの立場に立つ、アメリカの教育哲学者。F.M.アレクサンダーからレッスンを受けていた。
たいへん著名人で、高校の倫理社会の教科書には載っています。
再掲載に当たって
初出は、2010年04月22日 23:44mixiのアレクサンダーテクニークのコミュニティにて。
再録に当たって、年代の誤りを訂正した。
また文章是の前後に、現時点での考察を踏まえて、文章を付け加えた。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1240902&id=52418152#comment_id_1555787944
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