アレクサンダーテクニーク教師の、数名の方たちのブログに、「頭がリードして」と書かれていることがあるようです。

かく申す私も以前は、”デリケートに頭がリードして、「からだ」ぜ~んたい”がついてくる”と教えていた頃がありました(マージョリー・バーストウの系統の方たちのなかにこのように教える人たちがいます)。

 

現在私は、「デリケートに頭部(の重心)を”解放”して・・・」か古典的に「首が自由に、頭が前に上に・・・」と教えます。

 

4つ足動物までは、頭がリードする方向と身体の進行方向が概ね一致していましたので、混乱は少なかったのですが、直立2足歩行をはじめてから、歩く・走るのさへ、「からだ」を自由にする頭の方向と運動の方向は乖離しました。

 

どうしてそうなったのかというと、頭がリードしてと言って教えると、次にその生徒さんにお会いしたときに、なかには文字通り頭がリードして動いてしまう方たちがたまにいらしたからです。

その動きがとてもコミカルで、奇妙で、そしてまったく機能的ではなくて・・・

 

それで「頭がリードして」と言うのをやめました。動きをリードするのは、動きによっては、手の指先だったり、足の指先だったり、肘だったり、膝だったり、腰だったり、動きによって、さまざまです。どのような動きをしてもよい。私たちの動きには自由が与えられています。

 

そう言えば、2003年だったかな、アレクサンダーのベテランの教師のルシア・ウォーカーさんのムーブメントのクラスに参加したとき、動きがリードするところをどんどん変えていきながら指示していました。とても面白かったのですが、今から考えると、遠まわしにバーストウのディレクションに対するアンチ・テーゼを提出されていたのかもしれません

 

アレクサンダーテクニークの実践を通じて得られるものは、どこかがフライングするために、全体性が損なわれ、動きが「からだ」のどこかで途切れることを防ぐこと、「からだ」のなかに”力”の通り道を開いたまま動くことです。
たいていの活動で頭は動きをリードしません。そうではなくて、コーディネーションを、伸びやかになることを頭はリードするのです。
 

もし「からだ」のなかの力の通り道が塞がれたら、周辺に負担が来ます。

代表例は、ピアニストの肩や腰の違和感、ヴァイオリン奏者の首や肩のコリ、ダンサーたちの腰や背中の違和感・・・

そのような”滞り”を軽減して、より自由になることにアレクサンダーは役立ちます。
 

詳細はこちらに。

 

 

1999年5月にはじめてキャシー・マデンさんが私の通っていた教師養成コースを訪れて、当時彼女は

”Ask ease your neck, head move,all of you follows”と指示していました。

ある生徒「伝統的なディレクションの言葉を使わないのはなぜ?」

キャシーさん「頭を前と上に引っ張りあげようとする生徒が多いから」

 

 

私の横には、当時私がトレーニングコースに行きながら、個人レッスンを受けていた、ある外国人のアレクサンダー教師がいました。仮にシロクマさんという名前にしておきます。

彼は私に囁きました

シロクマさん「ヒロ、彼女の言うことはおかしい。なぜならば頭を動かすことだと誤解する人だって、きっと現れる。誰かが間違えたからといって、それを誤りというのはおかしい。」

 

確かに彼の言うとおりです。

 

アレクサンダー教師は、いつも自分の言葉が誤解を与えることを承知の上で、なるべく誤解を与えない言葉を選ぶ必要がありますし、それでも誤解をする人はいるのだということを知っておく必要があります。

 

 

 

コラムの目次はこちらに。