アレクサンダーテクニークを日常で実践するにあたって、どのような注意の質を持つとうまくいくのかということについては、レッスンを受け始めた人たちにとっても、長くレッスンを受け習熟してきた方たちにとっても、課題になります。

その注意の質についてまとめました。

日常を生きている(経験的世界を生きている)

日常を生きている(経験的世界を生きている)

緑色の三角形は、人の意識の階層だと思ってください。最後に典拠について説明しています。

1番目が、欲情と情念の場。自分にも他人にも勝手な命令を下す階層。

2番目が良心の場。自己や他人を糾弾する領域でもある。1番目と2番目は表層の領域です。

3番目。感性・理性の動揺がすっかりおさまり、安らいだ状態。「からだ」「こころ」への大きな変容はここから生じます。図解ではM領域として示します。ここからは深層の領域です

4番目。照明体験の場。ここから霊性の領域になります。源泉音楽の世界は、この領域に属しているのでしょう。インスピレーションの源泉とも言えます。

5番目。主体と客体がなくなる。悟りの領域です。

 

 

経験的世界で刺激を受ける

経験的世界で刺激を受ける

私たちは日常のなかで生きています。

そしてその日常生活のなかで、様々な刺激を受けます。

そして刺激を受けると、なんらかの注意の場(フィールド)が生じます。

たいていその注意の場は、意識の表層に生じます。

表層に生じた注意の場で起こることは反射的な反応です。

 

 

 

 

 

経験的世界で刺激を受けると注意の場が生じる

経験的世界で刺激を受けると注意の場が生じる

もし注意の場が、意識の表層に生じても、それほど刺激が多くないときには、刺激に反射的に対応してもじゅうぶん間に合います。

 

しかし、あまりに刺激が多いと、様々な問題が生じます。それは心理的な葛藤もありますが、「からだ」にも潰したり、引っ張りあげたり、という小さくて雑な忙しい動きがたくさん起こります。

 

ちなみに、このようなとき、大脳の前頭葉が過度に活性化し、情動を司る大脳辺縁系も過度に活性化します。

 

注意の場が意識の表層で生じ、刺激が多いと、葛藤が生じる

注意の場が意識の表層で生じ、刺激が多いと、葛藤が生じる

例えば、オフィスワーカーの方が職場でやることが多すぎると、

早くこの仕事を終わらせなければならない。
でも他の仕事も早く終わらさなければならない。
でも、このように忙しく働いて、成果を出しても、あまり評価されない。

 

例えば、演奏する方でしたら。楽譜に向かって演奏する。結果的に「からだ」が”前に下に”潰れ、時折”後ろに下に“も引っ張られ、管楽器や弦楽器でしたら楽器と自分を支えるのが困難になり、腕や首や腰が疲れたり、違和感が出たりして、呼吸も困難になります。また音が入りにくくなり、響かなくなります。

 

周囲の環境に加えて、私たちたち自身の活動(アクティビティ)自体も新たな刺激になります。

 

 

アクティビティも刺激になる

アクティビティも刺激になる

 

例えばパソコンを使った事務仕事や事務作業をするときに、
夢中になって、視線を極端に狭くして、視線を固定して、ディスプレイに向かって、顔を突っ込んだり、
歯を食いしばったり、
速く片づけなければと、キーボードに指を強く押し込んだり、

 

結果的に全身の筋肉が固まり、からだが下と前方か後方に押し潰され、その結果血流も悪くなり、仕事の効率が下がるだけではなく、「からだ」にも負担が大きくなり、違和感や痛みの原因になります。

 

アクティビティにより起こる葛藤アクティビティにより起こる葛藤そのとき、とても私たち自身を乱暴に扱う意識の領域で反応しています。注意の場はまるで戦場のように忙しくなり、そして私たち自身を痛めつけもしますし、活動の結果も最善とは言いがたいものになりやすいです。
これをアレクサンダーテクニークでは、エンド・ゲイニング(目的達成に必要な手段をすっとばして、目的に突進するさま)と呼んで、戒めます。

エンド・ゲイニングはミーンズ・ウェアバイ(7つの原理)の反対概念です。

 

もう少し広く注意が払える人にありがちなのは、正しいことをしようとすることです。

 

善悪が基準になる

善悪が活動(アクティビティ)の基準になっている

 

例えば、先ほどのパソコン作業の場合は、
こんなルーティン仕事は早く終わらなければならないと思ったり。
給料の分働かなければならないと思ったり。
帰りが遅くなりそうだから、家庭のパートナーに連絡しなければいけないが、忙しすぎてその暇がなかったり。

という心理的葛藤が加わり、さらに「からだ」にも無理が生じます。

慌てると「からだ」は潰れる傾向があります。「からだ」が潰れると、全身の筋肉が固まり(反対のお仕事をする拮抗筋同士が共収縮を起こす)、血行も悪くなります。

 

姿勢を正しくしようとして、女性誌推奨のまったく科学的根拠のない、頭を後ろに極端に引いて、肩を極端に”後ろに下に”押し込み、胸を開くと称して単に背中を”前に下”に押し下げる姿勢をしたり。

 

ちなみに首こり、肩こり、腰痛、背中の違和感、腕の痛み、虚血性頭痛(肩コリや首コリがひどい人たちがなる頭痛)の原因になります。

 

肩の力を抜こうとして、肩や脇の下に押し下げて、脱力できたと感じたり

実際には胴体の正面から腕に向かう大胸筋、背中側から腕に向かう広背筋等が収縮(緊張)することが多い。

このように感じていること(感覚)と実際の状態が不一致を起こすことを、あてにならない感覚的評価(7つの原理)といいます。

もちろん同じように思っても、うまくいく方たちもいらっしゃます。

 

管楽器を演奏するときに、重心を極端に降りた感覚が欲しくて、からだ全体を斜め前方下に押しつぶして、結果として楽器を支えるために腕や肩や腰に負担が来たり、息を吸うのを困難にしたり、

 

同じ指示を行っても、うまくいく方もいらっしゃいます。

 

重心を下ろそうとして、呼吸が楽にでき、演奏中または演奏後に違和感、痛み、ひどい疲れもなく、指も自由に回るのであれば、うまくいっているので、そのままお続けください。

 

これらもエンドゲイニングです。反射的にではなくて、(目的に叶わないことを、無知により目的に叶わないことを理解しないで)意図してやっているので、始末が悪いです。

 

私の先生の先生のマージョリー・バーストウ師は、自己の使い方」のセンターラインエクスプレス版の序で、
「途方もなく長いあいだレッスンを受けているうちに気がついた。どうして私はいつも正しいことをしようと思っているのだろう。なにが正しいなど、なにも分からないのに」と書きました。

 

これらの私たちの傾向あるいは癖(くせ)

自分自身を乱暴に扱おうとする癖
私たちの正しいことをしたい
という癖はたいへん根強いです。

関連 習慣的な反応や動きを観察する(7つの原理)

 

どちらも、私たち自身を押しつぶしたり、全身の筋肉が硬直し、物理的な力の衝突が「からだ」のなかで生じ、また血行が悪くなります。
血行が悪くなれば、必要な酸素や栄養は行き渡りません。活動が円滑に進むはずがありません。
あるいは活動に対応するには過度に緩みます。

一瞬一瞬活動にふさわしい緊張と弛緩が必要なのです。

結果、うまくいきません。

 

 

ではどのような注意をどこに向けたら、思い通りに活動できて、しかも活動中、活動後に違和感、痛み、ひどい疲れがなくなるかというと、

 

分節して現れるディレクション

分節して現れるディレクション

外からやってくる刺激や
自分自身がなにかをしようとするときに、
わたくしたち自身に余裕をあげますインヒビション7つの原理)

 

そして私たち自身全体や、活動全体を俯瞰すると(広義のディレクションを与えると)、活動にふさわしい伸びやかさ(狭義のディレクション)が生まれます。

 

例えば、演奏でしたら、根源に近い音楽の世界あるいは美の世界から、インスピレーションが立ち現われて、活動の目的にかなった手段(狭義のミーンズウェアバイ)を行うことができるようになります。

またその瞬間に「からだ」に必要なディレクションがやってきます。

そして、ライブ感のある活き活きとした演奏になります。

アクティビティ-)拡大図

アクティビティ-)拡大図

この伸びやかさやインスピレーションがやってくる状態を、F.M.アレクサンダーはプライマリー・コントロール(7つの原理)と呼びました。

 

活動の要素には次のようなものがあります。

活動の相手、

共同して活動を行い人

道具

環境

舞台パフォーマンスならば、聴衆・観衆。

 

ディレクションとは、狭義では「からだ」が伸びやかなるための具体的な方向、勢い。広義では活動に際して一瞬一瞬必要な手段—ミーンズ・ウェアバイを含む。

「からだ」には、注意をを向けると伸びやかになる方向と窮屈になる方向があります。例えば、椅子から立ち上がってください。もう1度座って、次に立ち上がるときに、膝から太ももの付け根に向かって、素早く撫で続けながら、立ち上がると、立ち上がるのが困難になります。

次に反対方向に撫でながら立ち上がると、立ち上がるのが用意になります。

 

このとき、頭の回転遅くなったのと同時に「からだ」が自由素早く動くようになったことに気づく方もいます。

善悪が基準になったディレクション

善悪が基準になったディレクション

ところが、アレクサンダーテクニークを学び始めたばかりの方は、このディレクションを善悪の領域で行いがちです。

じゅうぶんに余裕を与えて俯瞰することが大切です。アレクサンダーテクニークのレッスンはそのために必要です。

 

「アレクサンダー・テクニークの実践するようになって、肩こり等の身体のトラブルは減ったが、演奏を始めるときに、”身体”の方向ばかり考えるようになって、音楽に向かっていけなくなった」おっしゃる方がいます。本末転倒になってしまっていますね。そういう方たちは、ワークの仕方を変える時期が来たようです。

 

ちなみに宮本武蔵という方は、これまで述べてきた全体を俯瞰する状態を「観の目」と呼びました。観照の観です。瞑想の厳密な意味での観照とは意味が若干異なります

 

瞑想の観照の意味については、こちらをご参照くださいませ。

 

そのようになると、ディレクション(活動にふさわしい伸びやかや活動の目的にかなった手段–ミーンズ・ウェアバイ)を思うのではなく、ディレクションが起こるのです。
必ずしも、いつもそうなるとは限りません。自然にディレクションな起こらないときには、呼び水として活動にふさわしい伸びやかにするための方向や、活動の目的にかなった手段–ミーンズ・ウェアバイそのものを思います。

 

このように精神的なこと(人間の内面)の働きと身体的な働きは、とても深く結びついています。

「こころ」と「からだ」の結びつき

ここまで見てきたような外界と活動と私たち自身の深い領域までを俯瞰する、その注意を向ける領域の広さやそのような注意の状態に入ることを、タフツ大学心理学教授で、アレクサンダーテクニークの第1世代の教師フランク・ピアース・ジョーンズは、注意の統一場unified field of attention と呼びました。

日本にアレクサンダー・テクニークを紹介してくださった片桐ユズルさんの翻訳では、意識の統一場となっています。

 

また、このように適切に注意を環境と活動と私たち自身(「からだ」、「こころ」—意識の5階層の1から3番目、「霊性」—意識の5階層のシ4番目と5番目)に向けたら、いろいろなことがうまくいくことを、建設的意識的コントロール(7つの原理)と呼びます。

「五輪書」を著した宮本武蔵という方は、禅の用語を借りて、このような建設的意識的コントロールの境地—活動に向かって、内面の深いところから一瞬一瞬必要なものが湧き上がってくる境地のことを直通(じきづう)と呼びました。

禅では「禅定に入るための直接的な方法」という意味で使っていますが、経験的世界の活動に価値を認める宮本武蔵という方は、禅の用語と少し異なる使い方をしました。ですので、「五輪書」の序において、「禅語を用いず」と明記したのでしょう。

 

宮本武蔵という方は、アレクサンダー・テクニークのインヒビションとディレクションととても近い考え方を持っていた方です。詳細はこちらをご参照ください。

 

 

 

*** 最後に ***

 

井筒俊彦という哲学的意味論を深く探究した、我が国を代表とする哲学者の方がいます。ギリシア神秘哲学自己観照キリスト教神秘主義瞑想イスラム神秘主義スーフィー)の瞑想、ウパニシャッドの瞑想が同じ構造を持っていることを明らかにした方です。

 

主著のひとつ、「イスラム哲学の原像」において、次のような図を用いて、意識の5階層を説明しています。「神秘哲学 ギリシアの部」や「意識と本質」の内容も補いました。

スーフィー的意識の5段階説

スーフィー的意識の5段階説

この図解をみたとき、アレクサンダーテクニークの原理を図解で説明でき、諸原理の関係も理解しやすくなるのではないかということに気づきました。

 

 

私に「イスラム哲学の原像」をご紹介くださったのは、15年来の友人のクラニオセイクルバイオダイナミクスかさいじゅんこさんでした。10数年来の知り合いで、私がもっとも尊敬する友人のひとり、そして私がもっとも敬愛する友人の奥様です。

井筒俊彦先生の日本語で書かれたもののほぼすべては読んでいたのですが、この本だけは読んでおりませんでした。感謝します。

 

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アレクサンダーテクニークの7つの原理はこちらへ。