アレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこが教師になる訓練を受けていた頃
私は1997年から1999年までみっちりアレクサンダーテクニークの個人レッスンを受けてから(50レッスン、その他に2日間のグループレッスンを8回、半日のグループレッスンを5回)、1999年から2003年にかけてアレクサンダーテクニークの教師になるための訓練を1800時間超受けました(トレーニングとは別に個人レッスンも受けまくりました)。
ある巨匠アレクサンダーテクニーク教師の演奏家へのレッスン
訓練してくださった先生たちのうちゲスト・ティーチャーのなかには、世界的に著名なアレクサンダーテクニーク教師の方がいました。
その方は、ヴィヴィアン・マッキーさんですが一般向けのワークショップで、演奏する人にレッスンしたときに、当時はけっこう面食らったことがありました。
「あなたは待ちすぎている。準備のしすぎはアレクサンダーテクニークのインヒビション※ではない。
次は私が”演奏しなさい”と言ったら、すかさず演奏しなさい。それがアレクサンダーテクニークのインヒビションよ。
”演奏しなさい” だめ、3秒空いた。
”演奏しなさい” だめ、2秒空いた。
”演奏しなさい” だめ、1秒空いた。
いい? すぐというのは”すぐ”なのよ。そのタイミングがいちばん演奏を始めるベストなタイミングなのよ。」
インヒビションとはアレクサンダーテクニークの基本的な概念です。こちらをクリックしてください。用語の解説ページが開きます。
その先生はとても肝っ玉母さん風の風貌の方で、けっこう本音はずばずばおっしゃるけれど、とてもユーモアのある方で、それほど厳しくおっしゃることは珍しく、
「あれ?どうしてこんなに珍しく厳しいんだろう?」
とそのときには思いました。
なぜって、もちろん限られた時間で、大切なことを伝える必要があるから、だから厳しくなったのだと今では分かります。
別のアレクサンダーテクニークの先生の個人レッスンで疑問を確かめた
分からないことがあるときには、アレクサンダーテクニークの個人レッスンを受けることを当時の私は日課にしていたので、別の先生(松本乃里子さん)からレッスンを受けました。その巨匠の個人レッスンは終わっていたので、
個人レッスンの先生「別にねえ、準備にはどれだけ時間をかけてもよいのよ」と彼女は言いました。そうなの?
では遠慮なく時間を掛けて、からだのすみずみまでディレクションを送って、とゆっくりやっていたら
個人レッスンの先生「なんで固まってんのよ~」
私「あっ、やっぱりダメ?」
個人レッスンの先生「だめに決まっているでしょう! あんた固まっているわよ」
私「いや~、そうじゃないかと思ったんだけれど、これではっきりした。
”感じるんじゃありません”とか、”当てにならない感覚的評価”とかインヒビションとか、一気に理解できたような。
私「つまり今の私はインヒビションして、全身にディレクションを送っているつもりだったけれど、それは”やりすぎ”で、”感じすぎ”で、百害あって一利なしの状態だったのね。」
私「じゃあ、冒頭の話は?」
個人レッスンの先生「準備しすぎたら、ダメに決まっているじゃない? そんなのいつもやっているでしょう? それでうまくいったら、苦労しないわよ! ヴィヴィアンが怒るのは当然よ」
本当にこの先生は包み隠さず本音で語ってくださるので(特にちょっと怒ったときに)、こういうときの理解を助けてくださいました。年齢も近かったし、人なつっこい方でしたので、けっこう私もざっくばらんにお話しできました。
それでも最低限の礼儀は守りました。ずいぶん後に、アレクサンダーテクニークのレッスン中にこの教師の方を「お前」呼ばわりした不届き者がいましたが、言語道断です。
アレクサンダーテクニーク初学者の陥りがちな傾向
ベテランの巨匠の先生が珍しく言葉を強めにおっしゃったのは、ここにアレクサンダーテクニークの本質があるからでした。
彼女が言ったタイミングで始めずに待ちすぎるから、いちばん準備ができているタイミングをいつも逃しているということだったのです。
このことがはっきりして、その後アレクサンダーテクニークを学んでいく過程が明確になりました。
私も教え始めてから、気づくようになったのですが、アレクサンダーテクニークのレッスンを受ける人は
2つのタイプの方が多いです。
- 待ちすぎる人—結果を求めて待ちすぎて、最善の結果を得られない人
- 動きや活動に突進する人—プロセスを無視する人
今回は1.の待ちすぎる人を話題にしていますが、2.の突進する人が1.に変わることもよくあります。
私のレッスンでは、視界の適度な広さについて特に注意喚起していますが、これも待ちすぎない=感覚に入り込みすぎないためです。
時間を掛けて、ゆっくりからだ全体にくまなく注意を向けてとやっていると、ある意味気持ちよいのです。痲酔にかかった状態に近いかな。。。しかし、それでパフォーマンスが向上するかというと、残念ながらけっしてそんなことにはありません。そもそも実際の活動に間に合いませんので、日常生活という現場で使えません。
ちなみにこの麻酔がかかったような状態は、自律神経に関して、近年注目されている学説ポリヴェーガル理論では、背側迷走神経複合体が働きすぎて、凍りついた状態です。
そして、ここでは詳しく書きませんが(すでに別のページで何度も触れているので)、あがり症になるための最適な訓練法だと申し上げておきましょう。あがり症解消のための最適な方法ではなく、あがり症になるための最適な訓練法です。
そうではなく、パフォーマンスを向上させるために必要なことは、少し余裕を与えて(インヒビション)、全身に方向を思う(ディレクション)これは一瞬で行うことです。一瞬なでるように、あるいは一瞬風が吹くように。
ピアノ奏者でしたら、太ももから離れて鍵盤に指先が向かったら、そのときが演奏する時です。
時間を掛けてよいとしたら、それは、
インヒビション->ディレクションのあとの
- する
- しない
- ほかのことをする
の2.の「しない」を選択し、その次にインヒビション->ディレクションのあとに2.の「しない」を選択し、さらにインヒビション->ディレクションのあとに2.の「しない」を選択し。。。を数百回繰り返した場合のみです。理論的には。注意して欲しいのは、予め「しない」を選択することを決めているという訳ではないということです。
これは1度インヒビションして、6秒、10秒、何10秒もディレクションを送り続けることとはまったく異なります。
そのようなことを行なっても、脳の神経システムは活動に最適な状態にはならず、「気持ちがいい」という自己満足以外には、あらゆる活動がうまくいかなくなるという無残な結果しかもたらさないでしょう。
結び
この文章のドラフトを書いたのは、今から8年前の2011年でした。その頃、WEBをそれまでのhtmlで作成したものから、wordpress作成のものに移行作業をしており、結局公開しないまま、今日を迎えました。
最近見つけて読んだところ、面白かったので、加筆してこの度アレクサンダーテクニークの学校のホームページに掲載しました。
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