あるメソッドで言われ始めて、急速に広まったもののなかに、モデリングという概念あるいは方法があります。
ある優れた人たちのやっているエッセンスを抽出して、あるいは全部真似て優れたパフォーマンスに関係ないところを削るという方法です。
実は、これを初めて聞いたときから、私にはものすごく違和感がありました。
というのは、そもそも、このモデリングは、すべてを見る、あるいは感じ取ることを前提としています。
あるいは、すべてを真似ることができるという前提で作られています。
しかし、なにか芸事をやったことがある人ならば分かると思いますが、今の自分自身が受け取れるところは限られていて、1歩進むと今まで分からなかったことが見えるようになったり、分かるようになったりするものなのです。見えるものが今の自分に制約されることについて、こちらにまとめていますので、ご参照ください。
また、師匠の言われた通りに動けなかったものが、動けるようになっていくというものなのです。
その道の素人同然の者が分かるものなど、たかが知れています。奥の浅いものならば別ですが。
したがって、そのような者が作成したモデルやそれを元にしたメソッドは、はっきり言うと「ホトケ作って、魂入れず」どころか、まったく似ていない別物になるのです。
賢明な皆様におかれましては、そのようなものに無駄なお金と時間を費やさないようオススメします。
ところで、昔あるアレクサンダー教師が、別の優れたアレクサンダー教師のモデル化をしました。「変なことやっているよ」思っていたら、モデリングされた教師もその数年後そのモデルを言い始めました。
結果どうなったか。ワークが劣化したのです。安易な言語化・マニュアル化をすることによって、なにかが失われました。このことについてはとても残念です。
なぜならば、アレクサンダーテクニークは西欧で生まれましたし、言葉での説明もいろいろ工夫はしますが、結局は言葉だけでは伝わらないことをとても大事しており、それについて私はとても気に入っているからです。そして、自分がかつて仰いだ人が安易な道を進まれたのは口惜しいです。
学ぶということは、お手軽なサル真似でできるものではありません。もっと真摯な自己研鑽が必要なのです。
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