私たちは、舞台の本番やプレゼンテーションや入学試験・資格試験などの大事な場面で、あがり症になったり、緊張したりすることがあります。
そして、それが過度な状態になると能力や実力を発揮することができず、残念な結果に終わってしまいます。それではとても悔いが残ります。
そして、もしそのようなことが何度も繰り返されると、どんどん癖(くせ)になって、抜け出すことができなくなります。
そういったことにヒントになるお話をします。これはアレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこのレッスンで、生徒さんたちにお話ししていることから抜粋しています。
あがっても、慌てなければ大丈夫。。。ではない
野口体操の野口三千三先生の名著『原初生命体としての人間』には、大事な場面になると、アドレナリンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質が分泌され、これから大きな仕事をする準備を身体が整える。そのときに慌てて、その身体の知恵をじゃましなければ大丈夫という趣旨のことが書かれています。
同様のことを教えるアレクサンダーテクニークの教師(キャシー・マデンさん)もします。
たしかに、このような情報を知ることによって、改善する方もいらっしゃいます。しかし、残念なことにこじらせた方は、こういった方法ではうまくいきません。
交感神経と副交感神経のバランスを整えれば、解決するの? そもそもバランスって。。。?
では、どうするのか。
そもそも私たちの身体のなかでなにが起きているのかについて、知りましょう。
こういったことを書いた本には、次のようなことが書かれています。
「私たちには自律神経がある。アクティブなことをするときに優位になる交感神経と、リラックスを担当する副交感神経がある。しかし交感神経が働きすぎて、バランスを崩すとあがる。だから、交感神経の働きと副交感神経の働きをバランスよくしよう」
そして各論に入っていきます。
そして、肝心の”バランスよく”の中身が分からないまま、と申しますも、本文中にいっこうに説明がないので分かるはずがないのですが(最適な覚醒状態と言う心理学の仮説が前提になっているが、そのことについてすら触れていないことが多い)、分からないまま本を読み終えるのです。はっきり言うと、総論を説明した上で、各論に入る意味がなく、総論はいらないのではないかと疑問に思う本ばかりです。
多重迷走神経理論
ずっとおかしいと思っていた私は、数年前に多重迷走神経理論(ポリヴェーガル理論)に出会いました。
多重迷走神経理論(ポリ・ヴェーガル・セオリー)は、発表当時イリノイ大学の脳神経学者だったスティーブン・ポージェス博士によって提唱され、注目を集めています。自律神経系の働きに関する、新しい学説です(博士は現在は退官しましたが、研究者としては2022年現在現役です)。
元々は未熟児の生存率を伸ばすための研究だったのですが、今日注目されるのは、トラウマ症状を持つ方たちやそのサポーターであるセラピストたちからです。
ポージェス博士は、従来副交感神経として分類されていた神経のうち、延髄の疑核を起始とする迷走神経(腹側迷走神経とポージェスは命名)、延髄の背側核を起始とする背側迷走神経とその他に分け、腹側迷走神経と背側迷走神経の機能の違いを発見しました。
それぞれの迷走神経が他の脳神経と共同で働き、複合体として働く。だから自律神経の機能を見るためには、腹側迷走神経複合体、交感神経、背側迷走神経複合体の少なくても3つに分類する必要があると言いました。
それぞれ機能を説明します。
名称 | 沿革 | 機能 |
腹側迷走神経複合体 | もっとも新しい。哺乳類が発達させた、 | 他者とのつながり。共同作業。社会性。定位反応 |
交感神経 | 2番目位に古い | 逃げるか、戦うか(逃走・闘争) |
背側迷走神経複合体 | もっとも古い | 消化・吸収・排泄・睡眠・深い瞑想・凍りつき |
私たち哺乳理は進化の過程で、群れ(社会)を作り、他の個体(他者)と共存することによって、生き残りを優位にするという戦略を取りました。
社会性を担う神経(腹側迷走神経複合体)を発達させることによって、
そしてこの社会性を担う神経が、交感神経が扱うことのできる大きなエネルギーと同等の大きなエネルギーを扱えるようになることによって、生存をより優位にしたのです。
ある出来事に接したときに、私たちはまず社会性を担う神経システムである、腹側迷走神経が優位になり、対応しようとします。
(ⅰ)その状況が社会性を発揮するのにふさわしくないとき(例えば、極端な例になりますが、いきなりナイフを持った人が突進してきたとき)
交感神経が優位になり、状況に対応しようとします。逃げるか、戦うか(逃走・闘争反応)です。
なんらかの原因で(過去や現在のトラウマティックな経験など)、交感神経が機能しなければ、背側迷走神経が優位になり、凍り付きます。具体的には気を失ったり、崩れ落ちたり。
(ⅱ)その状況が社会性を発揮するのも、逃げるか戦うかを行うこともふさわしくない場合には(例えば、眠るとき、深い瞑想に入るとき)、背側迷走神経複合体が優位になります。
(ⅲ)その状況が社会性を発揮するのにふさわしい通常の状況であっても、なんらかの理由により(過去の辛い経験など)、社会性を担う神経システムが働かない場合には、交感神経が優位になり、状況に対応しようとします。逃げるか、戦うか(逃走・闘争反応)です。確実に相手との関係は悪化するでしょう。舞台芸術家であれば、力んだ演奏になります。
さらになんらかの理由により(過去の辛い経験やトラウマティックな経験など)、交感神経も働かないと、背側迷走神経が優位になり、凍りつきます。舞台藝術(演奏や踊りや演劇)の本番という状況での具体例はこのページの後ろの方に複数挙げます。
これは生理的な反応として現れるので、意思の力でコントロールできません。
草食動物の凍りつきと、凍りつきからの脱出方法
凍りつきは、草食動物が捕食動物に捕まったときに起こります。
草食動物が草を食んでいるとき、同時に周囲にも注意を払っています(定位反応が働いている)。そして、そこに獲物を捕るためにメスのライオンが現れます。
狩りをするときに捕食動物の目は、凝視するようになり、交感神経が活性化します。自律神経の状態は近くにいる別の個体に影響を与えるので、お母さんライオンの交感神経の活性化と物音に反応して、草食動物たちはいっせいにばらばらに逃げ始めます。小食動物たちの交感神経が極限まで高まって、逃げるのです。
そして、運悪く(お母さんライオンにとっては運のよいことに)1匹の草食動物が捕まってしまいます。
そのとき、まだ致命傷を負っていないのに、背側迷走神経が優位になり、凍りつき(あたかも肉体と中身が分離するような状態)が起こり、あたかも死んだようにばったり倒れます。
凍りつきが起こる利点は3つ。
- 「こいつ、すぐぐったりしたから、悪い病気でも持っているのかもしれない」と捕食動物が勘違いをして、「食べたらに危険だから」と立ち去ってくれることが、ごくたまに起こること。
- 捕食動物は、食べるときに、とどめをさしてくれません。ほぼ”生き作り”状態で食べられます。その際に、あたかも全身麻酔がかかっている状態になるので、痛みを感じないですみます。
- そして、生き残る可能性が高くなること。ライオンのお母さんは、その場ですぐに食べず、子供たちを呼びに行くことがあります。子どもたちだけで、平原を異動するのは、他の捕食動物から狙われる危険も大きいので、危険だからです。
そのあいだに凍りつきから抜け出すことができれば、逃げることができます。もし、漁夫の利を狙ったハイエナが現れて、お母さんライオンと戦い始めたら、逃げることができるチャンスはさらに高まります。幸い、無駄な抵抗をしなかったおかげで、最低限の怪我で済んでいます。まだ逃げるチャンスがあるのです。
草食動物たちは、凍りつきから出てくるときに、小刻みに震えて(凍りつき反応のために生体内に滞留したエネルギーを放出して)、凍りつきから出てきます。再び交感神経が極限まで高まった状態になります。
ちなみに、凍りつき反応は俗に”死んだふり“と呼ばれますが、適切な表現とは言い難いです。別に演技をしているわけではありません。生理的な反応として起こります。
そして凍りつきから出て、安全なところまで逃げたときに、再び小刻みに震えて、交感神経の過剰な活性化から抜け出します。それをしないで群れに戻ったら、小さな刺激に大きく反応しすぎて、群れで社会生活をするのに支障が出ます。
しかし、このように交感神経の脱活性化するので、群れの他の個体と協調して生活することができますし、トラウマに捕まることもないと言われています。
おっと、ここでツッコミが入りそうですね。「それでは動物はトラウマにならないってことになりそうだけれど、テレビのニュースで動物にもトラウマ症状が出ることがあるって見たことがあるよ」って。
野生のコアラには、ユーカリの森の山火事で、トラウマ症状が引き起こされることがあることが広く知られています。テレビのプログラムで、トラウマ症状を引き起こしたコアラが、動物園に保護されている映像をご覧になった方は多いでしょう。
実は理由があります。潜在自然植生という概念を打ち立てた宮脇昭先生のご研究によると、西洋人がオーストラリアに入植するまで、ユーカリが大森林を形成することはなかったそうです。つまり入植者たちが大規模な樹木の伐採をした結果、成長は速いが、油分を大量に含み、日照りが続くと火事になりやすいユーカリの森が広がったのです。
コアラが火事の起こりやすい新しい自然環境に生理的に対応できなかったのは、無理ありません。
そして、人間は現在の状況に生理的に適切に対応できないのも、無理はないかもしれませんね。
1890年代の半ばから1955年になくなるまで教え続けたアレクサンダーテクニークの発見者F.M.アレクサンダー(1869-1955)の生きた時代には、もちろん多重迷走神経理論は発見されていませんでした。しかし、彼は直感的に分かっていたようです。
と申しますのも、アレクサンダーテクニークの多くのプロシージャーは、微笑むながら行うのが必須ですから。
具体例-舞台の本番を例に
上手く行く例
舞台の本番や大事な場面に強い方たちがいます。
適度な緊張はするけれど、練習通り、あるいは練習以上のパフォーマンスを発揮します。
自律神経が適切に機能しており、総じてそういう方たちは上手く社会的に対応します(個人的な性格が、社会性があるかどうかはまた別の問題)。
また新しいことにチャレンジしようという気概に満ちあふれています。魅力もあります。その方のことをよく思わない人もいるかもしれませんが、味方やファンも多いです。
上手くいかない例
従来の学説(通説の自律神経を交感神経・副交感神経に2分する説)では、ストレスやトラウマによって、精神的・肉体的に不健康な状態におちいった人の状態をじゅうぶんに説明しきれないし、改善すための方向性を示すことができませんでした。
しかし、多重迷走神経理論(ポリ・ヴァーガル理論)は、状況を説明できるし、改善のための方向を臨床で示すことができるので注目を集めています。
先ほどの具体的な状況に当てはめて言えば(実際にはこんなに単純に説明しきれませんが)、
舞台の本番を例にすると、実力が発揮できない人がいます。
人によっては、舞台の本番や大事な場面で、体温が下がる
–>背側迷走迷走神経が優位になり、凍りつきが起きている
人によっては、指が冷たくなる。
–>背側迷走迷走神経が優位になり、凍りつきが起きている
人によっては、心臓がバクバクする。
–>交感神経が過剰に優位になっているところから、背側迷走迷走神経が優位になりかかっていて、凍りつきが起きかけている可能性がある
人によっては、息が吐けない(さらに程度が甚だしいと過呼吸になる)。
–>交感神経が過剰に優位になっているところから、背側迷走迷走神経が優位になりかかっていて、凍りつきが起きかけている可能性がある
人によっては、息が入らない。
–>交感神経が過剰に優位になっているところから、背側迷走迷走神経が優位になりかかっていて、凍りつきが起きかけている可能性がある
人によっては、足がふわふわして、地面にくっついていないような違和感がある。
–>背側迷走迷走神経が優位になり、凍りつきが起きている
人によっては、エネルギーが頭に上がってしまって、降りてこない感じ。
–>背側迷走迷走神経が優位になり、凍りつきが起きている
人によっては、舞台の本番前にお腹を壊す。
–>腹側迷走神経・交感神経・背側迷走迷走神経のバランスが崩れている。
人によっては、舞台の本番前に便秘になる。
–>腹側迷走神経・交感神経・背側迷走迷走神経のバランスが崩れている。
人によっては、本番後に必ずお腹をお壊す。
–>腹側迷走神経・交感神経・背側迷走迷走神経のバランスが崩れている。本番前と本番中に交感神経が過剰に優位になっている可能性もある。
長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。
アレクサンダーテクニークのレッスンのススメ
講師かわかみひろひこのアレクサンダーテクニークのレッスンでは、あがり章や過度な緊張を防ぐための具体的なワークを紹介します。あがり症に関しては、下記のグループレッスンか個人レッスンで扱います。
アレクサンダーテクニークの個人レッスン
詳細はアレクサンダーテクニークのレッスンコースをご覧ください。
アレクサンダーテクニークのグループレッスン
詳細は、アレクサンダーテクニークのグループレッスンをご覧ください。
アレクサンダーテクニークのグループレッスン:あがり症・過度な緊張からの回復と集中力の回復
大事な場面であがったり、過度な緊張をするのは自律神経が関わります。
寒くなると、古傷が痛むのも自律神経系が関わります。
また大事な場面でに集中力が途切れ、素に戻ってしまうのは、脳の使い方です。
自律神経と脳の適切な使い方を学びます。
次回は、2019年9月23日(月・祝) 9:15から12:45に、東京は田端(山手線)で、あがり症や大事な場面での過度な緊張を防止することをテーマにした、アレクサンダーテクニークのグループレッスンをします。
詳細はこちらをご覧くださいませ。
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