アレクサンダーテクニークを日本に持って来てくださった片桐ユズルさんの新刊
日本にアレクサンダーテクニークを広く紹介してくださった、片桐ユズル先生の書き下ろしの『忘れてもいいように』を読みました。
ネタバレは避けたいので内容については書くことは控えますが、この本を読んで明確になった私のスタンスについて書きます。
アレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこのスタンスを2つ
芸術は長く、人生は短し
思想や考え方は先に決めない
芸術は長く、人生は短しーアレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこの基本的なスタンス1つ目
演奏でも、踊りでも、精密機械の製作でも、そういった技術は一生をかけて追求しても、時間が足りない。
どんなに時間をかけて努力をしても、思うように身体が動かないこともある。それは、芸事や技術の基本的な考え方をよく理解していないからではなく、自分自身の使い方=刺激に対する反応が重いとおぢに動くことを阻むことがある。
こういった反応を変えることにアレクサンダーテクニークは役立つ。
しかし、本当に生徒さんの芸事や技術への情熱に応えるためには、生徒さんのされる芸事や技術について、最低限理解することがアレクサンダーテクニーク教師として必須になる。
そしてその最低限というのは、ものすごく膨大なのだ。
ところで、戦前に、蓑田胸喜さんという浄土真宗系の国粋主義者の「悠久の。。。」が日本の言論界を席巻したことがあった。
「芸術が長く。。。」と通じるものがあって(と言うよりも、おそらく蓑田胸喜という方は、古代ギリシアの格言の”芸術は長く、人生は短し”から「悠久の・・・」を発想したのではないだろうか?)、片桐ユズルさんは、おそらくこういった私の発想を嫌うのだろう。
もしあの戦争がなかったら、片桐ユズルさんとアレクサンダーテクニークの出会いはもっと異なるものになったのだろうか。
蓑田胸喜という方は2つの大きな負(マイナス)の影響を日本に残した。
- 自分は絶対に空襲に遭わない安全な土地に逃れて、弁舌を通じて若者たちを死地に追いやった。
- 戦後の文化人たちから、技術や文化は不断の努力で積み上げていくという考え方を奪った。
思想や考え方は先に決めないーアレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこの基本的なスタンス2つ目
生きているうちに、私たちが日々に経験し、研鑽し続ける人生のなかで、あるいはなにかの大災害やもっと小さい刺激があったときにこそ、その人の生き方も思想や考え方が自然に現れてくる。
ここでいう自然というのは、外側から見た場合の自然であって、本人はその都度決断したり、葛藤したり、右往左往したり、さまざまな内面の動きを経験する。
しかし、作り上げる物は外側に表現したものが主体になるだろう。
3.アレクサンダーテクニーク教師片桐ユズル先生への謝意と本の購入先
片桐ユズル先生が日本にアレクサンダーテクニークを広くご紹介してくださったことに感謝します。
『忘れてもいいように』は下記にお問い合わせください。
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