コラム 脳が決めるのではない!?

この文章は、アレクサンダー・テクニークにご興味をお持ちの方で、脳科学にご興味をお持ちの方はお読みください。

またはアレクサンダー・テクニークにご興味をお持ちの方で、脳科学に辟易している方はお読みください。それ以外の方はお読みにならない方がよいかもしれません。

 

脳が決定するのか? そんなことは可能なのか?

今から3年くらい前(2008年頃)だったと思う。

京都で、あるアメリカ人の著名なアレクサンダーテクニーク教師の方の一般向けのグループレッスンを受けていた。私のようなアレクサンダーテクニーク教師や、教師になるために訓練中の方たちも受けていらした。

 

 

ワークショプの最中に、その著名なアレクサンダーテクニーク教師は

「。。。脳で決めて。。。」と言った。

 

アレクサンダー・テクニーク創始者のF.M.アレクサンダー(1869-1955)自身は、おそらくレッスンで「脳で決める」という言い方はしなかったと思うのだが、最近の世界的な認知科学・脳科学ブームは、アレクサンダー・テクニークの世界にも無関係ではなく、そういう説明をする方が増えてきた。その証拠に、3年前の2008年にスイスのルガーノで開催されたアレクサンダー・テクニークの国際会議では、脳科学が大きなテーマの1つにすらなった。

 

 

話をもとを件(くだん)のグループレッスンに戻す。

 

何かをしようとするとき、その目的に突進せずに(アレクサンダー用語を用いて表現すると、エンド・ゲイニングにならずに)、少し自分自身に余裕を与えて、プロセスに必要なことを思うと(アレクサンダー用語を用いて表現すると、ちょっとまってインヒビションして、ディレクションをを与えて)というところについて、

 

そのベテランのアレクサンダーテクニーク教師は「脳で決めると、新しい活動プランを選択できる」と説明された。そのとき、とても複雑な活動にレッスンをしているときで(ピアノの演奏だったような。。。)、私はそのレッスンの後、湧いてきた疑問を質問した。

 

 

「アレクンダー・テクニークを使うと、今のようにより演奏中の”からだ”が自由になり、音の響きも増すのは分かる。

しかし、いつも”からだ”の姿勢は違うし、状態も違う。

もし本当に脳で決めているとしたら、脳はこうやったらうまくいくというのを事前に知っているのか、予想していることになりませんか?

フィードバックが感覚器官から戻ってくるたびに脳がプログラムを変えるとしても、こうしたらうまく行くというのがなければ、修正できないはずだから」

 

 

そのベテランの教師の答えは「あなたは複雑に考えすぎる」

 

 

本当にそうだろうか? そのとき私は思った。

 

数年が経った。2010年の夏、私は出張先の福岡にいた。福岡でアレクサンダーテクニークのレッスンをしていた。空いている時間に博多の書店に行った。ヨドバシカメラのビルによい本屋があるのだ。私は、棚に並んでいる本のセンスがよい書店が好きだ。

 

そこで私はある本に出会った。岩波ブックレットで、タイトルは『アフォーダンス 新しい認知の理論』という。

 

この本はギブソンが始めた生態心理学アフォーダンス)について紹介した小冊子で、全編にわたって非常に刺激的な内容に満ちているのだが、この本の中にベルンシュタイン問題という問題提起が紹介されていた。

 

以下この本の内容を参照しつつ、ベルンシュタイン問題を紹介する。

 

ベルンシュタイン問題

これは20世紀前半に活躍したロシアの生理学者ニコライ・ベルンシュタインが古典的運動制御モデルのテーゼに対してに提起した問題提起だ。

 

古典的運動制御モデルのテーゼとは、すなわち運動に先立って、身体の配置を詳細に特定するプランが脳に存在するというテーゼだ。

 

これに対するベルンシュタインの問題提起は、自由度の問題と文脈の問題の2つの部分からなる。

自由度の問題

個々の関節や筋肉の状態を特定する方法で運動を制御しようとすると、例えば人間の腕では関節で7、筋肉で26、各筋毎の運動ユニットで100、したがって筋の運動レベルでも2,600の自由度がある。

 

全身の配置は刻々と変化するので、制御すべきことが膨大になるすぎ、個々の関節や筋肉の状態を特定する方法で運動を制御しようとするのは、現実的ではない。

 

文脈の問題

例え同じ命令でも、受け取る身体の状態によって、まったく意味が異なる。

 

ベルンシュタイン問題に対して提案された解決案!?

ベルンシュタイン問題に対しては次のような解決法が提案されている。

 

A.「中枢による制御」という考え方を保持しつつ、「フィードバック機構」を取り入れたり、B. 中枢制御する内容は「より一般的指令」と説明しなおしたりする方法だ。

 

しかし、両方ともベルンシュタイン問題を解決できない。

 

「フィードバック機構」は誤りを判断する知識を事前に持たなければならないことになり、また「より一般的な指令」は詳細に特定する指令を必要とするからだ。

 

脳が決めるのではない

この本を読んだとき、古典的運動モデルの自由度の問題は(つまり、「脳みそで事前に全部決めるなんてムリ~」という問題は)、新しい技術や習い事を習いたての頃、注意しなければならないことが多すぎて、途方に暮れた経験や習い事に伸び悩んだときの経験、つまりうまく行かなかった経験と似ているように思った。

ヴァイオリン

 

そう言えば、私のアレクサンダーのレッスンを受講してくださっている、あるヴァイオリン奏者の先生は次のようにおっしゃっていた。

 

「弓を当てる角度を気にしても、出したい音は決して出ない。」

 

そして、しばらくして気づいた。あの京都で湧き起こった私の疑問は、すでに広く世界に提起されていた問題だったのだ。

 

脳の中枢により、すべての運動が制御されるということが科学的に説明がつかない以上、脳がすべてを決定すると説明するのは科学的ではないのではないか? 少なくとも、うまくいっていない習い事や技術を上達させるきっかけにはならない。例えば演奏やダンスの技術を上達させたい方は、多くの場合、科学者ではないのだから、上達に役に立たないことを考えるのは無駄だ。

 

個人的には、脳が決めるのではなくて「私」が決める、あるいはある環境とそのなかの「私」が一体となって決めるというほうが、しっくり来る。

 

もっともこれも科学的には証明されていないのだろうが、経験的には、使うことのできる日常的な知恵としては間違いなさそうだ。

 

科学が私たちの日常的な身近な出来事を解決できないときには、経験に基づく知恵を大事にした方がよい。

また、それが困っている問題の解決につながらないのであれば、浅薄な科学的な知識などレッスンでひけらかさない方がよいのではないかと思う。自戒も込めつつ。

 

初出 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=60662238&comm_id=1240902 2011年06月19日 11:04

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かわかみ ひろひこアレクサンダーテクニークの学校 代表
第3世代のアレクサンダーテクニーク教師。2003年より教えている。 依頼人である生徒さんへの共感力、課題改善のための活動の動きや言葉に対する観察力と分析力、適確な指示、丁寧なレッスンで定評がある。
『実力が120%発揮できる!ピアノがうまくなる からだ作りワークブック』、『実力が120%発揮できる!緊張しない からだ作りワークブック』(ともにヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)の著者。
アレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこのプロフィールの詳細