自分を観察するのに3枚の姿見(全身が映る大きな鏡)を使ったアレクサンダーテクニークの発見者
アレクサンダー・テクニークの発見者F.M.アレクサンダー(1869-1955)は、自分自身の癖(くせ)を発見するために、3枚の姿見(全身が映る大きな鏡)を3枚用いました。
正面にいちばん横幅が広い姿見を置き、横と後ろにも1枚ずつ。横に置いた鏡と後ろに置いた鏡は、それぞれ真横や真後ろから少しずつずらして、正面の大きな姿見に、正面映像、横映像、後ろ映像が同時に移るようにセッティングしました。
今でしたら、お手軽に動画を撮ることができますが、当時はそのような手段がなかったからです。
だからアレクサンダーテクニークの発見者は、姿見を3枚使ったのです。
避ける必要のある鏡癖(ミラーハビット)-アレクサンダーテクニークの発見者は無縁だった
実は私は動きを観察し続けるときに鏡を見続けることには、アレクサンダーテクニークの生徒さんたちにお薦めしていません。なぜならば、そのようにすると、多くの方には鏡癖(かがみぐせ)=ミラーハビットがつくからです。
鏡癖とは空間に視点を固定する癖(くせ)です。ダンサーの方たちがなることが多いのですが、以前私も習い事の動きが間違っていないかどうかチェックするために鏡とにらめっこしていたことがあって、そのために鏡癖がついたことがありました。
気づいてから、この癖を抜くのに2年以上かかりました。
アレクサンダーテクニークの発見者F.M.アレクサンダーには先生がいなかったので、癖を発見し、癖をやめるために7年かけて探求しました。他に手段がなかったので、鏡を使ったはずです(彼自身も鏡を使ったと自著”Use of the self”に書いています)。
しかし、彼は鏡癖についてなにも書いていません。おそらく鏡癖とは無縁だったのでしょう。F.M.アレクサンダーが鏡を使っていたにも関わらず鏡癖と無縁だったということ。そのことに、今から15年前の教師トレーニング中にそのことに気づいたのですが、私にとってはとても驚くべきことでした。私とは、元からデキが違ったのかと。。。
アレクサンダーテクニークの発見者が鏡癖がつかなかった背景
おさらいのために書いておきます。F.M.アレクサンダーは、オーストラリアのタスマニア島で生まれました。開拓民の子として。
今で言うと、多動だったのかどうか分かりませんが、集団生活が苦手で学校にはほとんど行きませんでした。そして、自然の中で過ごしていたと言われています。
彼に霊性のほとばしりを感じた教師が、放課後にやってきて勉強を教えてくれました。アレクサンダー少年も先生の期待にこたえて、絵や作文で何度も表彰されました。
F.M.が学校を嫌ったのは、視線を一定方向に長いあいだ保っていること、なにかを過剰に凝視することが困難だったからではないでしょうか?
だからこそ、アレクサンダーテクニークの発見者は、鏡を使って自分自身を観察していたのに、鏡癖とは無関係で射られたのではないかと考えます。
定位反応とアレクサンダーテクニークの発見者
動物には定位反応があります。生体が,その外部に何らかの刺激が呈示されると,そちらの方向に注意を向けるような行動をとるという反応です(福祉心理学用語集 yuki wiki http://www.ipc.hokusei.ac.jp/~z00105/wiki/wiki.cgi?%C4%EA%B0%CC%C8%BF%B1%FE))。
簡単に言い換えると、あたりにまんべんなく周囲に注意を払う能力であり、そして変化に対応する能力です。
なお、これ以降この文章で述べる定位反応は、より正確に言えば、探索定位反応—Exploratory orienting responseです。
スティーブン・ギリガンという第3世代の催眠療法の方が、定位反応は、私たちの筋肉を硬直させるもので、好ましくないので定位反応をやめた方がよい旨を書いていますが(「ジェネラティブ・トランス–創造的フローを体現する方法」)、文意からギリガンが問題にしているのは、危険が差し迫っているときに動物に現れる防衛定位反応—Defensive orienting responseだということが分かります。2015年5月26日追記
定位反応が失われているときは、
- 周囲の変化に気づくことができなくなる
- 自分がどこにいるのか分からなくなる
- 自分がなにをしたいのか分からなくなる
ことが多くあります。
舞台の本番や大事な場面での緊張の際には定位反応が失われているというアレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこの私見の紹介
舞台の本番大事な場面で、過度に緊張したり、あがったりするとき、いわゆる音楽演奏不安やステージ・フライトのときに起こっていることの少なくても一部は、定位反応が阻害されていることです。
そして、狭い教室に長時間座りっぱなしで黒板を長い間見続けることは、多くの人たちの定位反応を阻害します(ごく少数の才能のある方たちは、定位反応を阻害されません)。
アレクサンダー少年は、おそらく少年時代から、定位反応に優れ、それを阻害する生活習慣を受け入れることができなかったのでしょう。
そして、17歳のときに始まったとされる、7年間の探求期間に、鏡癖に陥らずに済んだのは、優れた定位反応を失わなかったからでしょう。
彼の写真や動画で、アレクサンダーの目は常に生き生きしています。
しかし、F.M.アレクサンダーは、はっきりと視線の向け方について書きませんでした。
ちなみに晩年交通事故にあったアレクサンダーは、後遺症で目が悪くなりましたが、しばらくして回復しています。
ベテランのアレクサンダーテクニーク教師たちとの対話で定位反応の考察を深める
私の先生のひとりのピーター・グルンワルドは、アレクサンダー・テクニークの世界に再び視界に向ける注意の大きさを喚起しました。
ところが、それに対して、私の先生のひとりのキャシー・マデンはとても懐疑的で、ピーターのことを非難して、彼の教えていたようなことは、マージョリー・バーストウ(FMアレクサンダーの直弟子で、キャシー・マデンの師匠)は教えていたと私に言いました(2002年の個人レッスンにて)。
だったら、それを教えてくれればよいのにと彼女に疑念を感じましたが、おかげでマージョリー・バーストウがどのように視線に注意を促していたのかについて聴くことができました。
視界を狭くする傾向のある私は、視界を広く思うとうまくいくのですが、以前からうすうすとは気づいていたのですが、
- とてもうまくいく場合、
- そこそこうまくいく場合、
- ほとんどうまくいかない場合
があります。
最近気づいたのですが、ただ視界を広くとるだけではなくて、自然な視線の動き、言い換えると視線が”遊ぶ“ことが重要であると気づきました。
ちなみに、”視線が泳ぐ”のとは異なります。視線が泳ぐときには、定位は失われています。
文章では説明しづらいので、ご興味がある方には、アレクサンダーテクニークのレッスンでご教示します。
次のような効果があります
- 疲れにくくなる
- ステージ・フライト(舞台の本番前などの過度な緊張や上がり)が小さくなる
- ストレスをためにくくなる。
- 活動中のサポート(支え)が強くなる。
- 過去の終了していない生体内に取り残された反応—アイボディのピーター・グルンワルド風にいえば、物語と物語にならなかったものを少しずつ終了できる。
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