アルバート・レデン・アレクサンダー(1874-1947)は、第1世代のアレクサンダー・テクニーク教師。

 

生涯

ARA3
A.R.は通称。アレクサンダー・テクニークの発見者F.M.アレクサンダーの弟で、実兄であるF.M.アレクサンダーからテクニークを学ぶ。

 

第1世代の著名な教師たちウォルター・カリントンパトリック・マクドナルドルーリー・ウェストフェルトとは関係を壊したが、姪っ子のマージョリー・バーロウ、アメリカ在住の3人の第1世代の教師たちマージョリー・バーストウフランク・ピアース・ジョーンズバズ・ガマリーとは良好な関係を保った。

 

F.M.アレクサンダーによる第1回教師トレーニングを手伝っていたが、訓練を受けていたトレーニー(訓練生)たちがF.M.アレクサンダーに抗議し、それが契機になって、A.R.アレクサンダーは、教師トレーニングから離れ、渡米して教え始めた。後年イギリスにもどる。

 

F.M.とA.R.の姪であるマージョリー・バーロウは事実関係については分からないと言いつつ、A.R.のガキ大将的な性格が災いして、訓練生たちがワークに安全さを感じられず、F.M.にA.R.を外してもらうように頼んだのではないかと推測している(”An Examined Life”より)。

 

しかし、後進をトレーニングすることには興味を持ち続けたようで、第1回教師トレーニングを終えてアメリカ合衆国に帰国したマージョリー・バーストウを3年間アシスタントにした(USE OF THE SELF センター・ライン・エクスプレス版マージョリー・バーストウによる序を参照した)。

 

他にも第1回トレーニングを終えて帰国した、ルーリー・ウェストフェルトをアシスタントにしようとしたが、ルーリーから拒絶された(「アレクサンダー・テクニークと私」ルーリー・ウェストフェルト著を参照した)。

 

フランク・ピアース・ジョーンズにも親しく教えた(フランク・ピアース・ジョーンズの弟子のトミー・トンプソンさんから筆者がそのように聞いた)。

 

レッスンのスタイル

生徒さんの観察を重視したことは、センター・ライン・エクスプレス版のUSE OF THE SELFに寄せられたマージョリー・バーストウの序によれば、観察を非常に重視した。

 

また、マージョリー・バーストウの弟子のキャシー・マデンによれば、生徒さん選んだアクティビティー(楽器の演奏やダンスなど)を教材にしてレッスンをしたということだが、実際にレッスンを受けたことのあるアレクサンダー教師たちは、そのことについては触れていない。
ただ、アレクサンダー兄弟の姪っ子で、アレクサンダー教師のマージョリー・バーロウのみが、著作An Examined Lifeにおいて、「A.R.アレクサンダーおじさんのレッスンは、F.M.アレクサンダーおじさんとは、まるで違っていた」と述べているのみである。