ウォルター・カリントン

Walter Carrington(1915 -2005)は、F.M.アレクサンダーによって訓練された第1世代のアレクサンダーテクニークの教師。F.M.のアシスタントを務めた。

アレクサンダーテクニーク教師ウォルター・カリントンの生涯

アレクサンダーテクニークの第2期教師養成コースに参加。トレーニング中に第2次世界大戦が勃発し、トレーニングは中断する。

 

第二次世界大戦にイギリス軍人として従軍。戦闘機のパイロットとしてドイツ軍の戦闘機と空中戦を行い、撃墜される。その時の負傷により、両股関節に生涯人工関節を入れる。

 

戦後再開したアレクサンダーテクニークの教師養成トレーニングに復帰し、アレクサンダーテクニークの教師になる。

最後までF.M.アレクサンダーと良好な関係を保ち、アシスタントを務める。

F.M.は教師の協会を作ることに消極的だったが、カリントンはF.M.との良好な関係を重視して、教師の協会を作ることに積極的だったパトリック・マクドナルドに協力しなかった。そのため、かつて仲良しだったカリントンとマクドナルドは不仲になる(マージョリー・バーロウ著”An examined life”を参照した)。

アレクサンダーテクニーク教師ウォルター・カリントンの性格

温厚な性格であったと言われる。

その一方で、F.M.の一般の生徒であったモーシェ・フェルデンクライス博士が本を出版した折に、F.M.の発言と似た記述に付箋を挟んで、F.M.のオフィスの机に置いておくなど、激しい面もあった(フェルデンクライス博士はフェルデンクライス・メソードの創始者として知られている)。

カリントンはまったく別のストーリーをアレクサンダーテクニークの専門誌”Direction Journal”で語ったが、”Direction Journal”の記者とカリントンの距離は遠いのに比べ、上記のエピソードは、筆者が2004年に、カリントンの親しい生徒だったマイケル・フレデリックから直接聞いた話であるため、信ぴょう性が高い。

 

F.M.アレクサンダーの死後、アーシュレイ・プレイスを受け継ぐことになっていたが、F.M.アレクサンダーがアーシュレイ・プレイスを甥のマックス・アレクサンダーに譲り、約束を反故にされる。

アレクサンダーテクニークの2大潮流を作る

多数の教師を育て(彼の系統は、アレクサンダーテクニークの伝統派の2大潮流で、カリントン系とよばれている)、階段から転落して亡くなるまでの期間を除き、死の直前まで教え続けた。

著書多数。

アレクサンダーテクニークのレッスンのスタイル

アレクサンダーテクニークの伝統的なプロシージャー(手順)を中心に教えた。

アレクサンダーテクニークのレッスンのなかで、生徒さんのお話をよく聞き、おしゃべりをして、生徒さんと良好な関係を築きつつ、レッスンを行った。

そのため、ウォルターのアレクサンダーテクニークの生徒のなかにはカリントンとすごく個人的に親しいと誤解する者もいた。

心理臨床家のカール・ロジャースパースン・センタード・アプローチを先取りするワークを行う。

ABOUT US
かわかみ ひろひこアレクサンダーテクニークの学校 代表
第3世代のアレクサンダーテクニーク教師。2003年より教えている。 依頼人である生徒さんへの共感力、課題改善のための活動の動きや言葉に対する観察力と分析力、適確な指示、丁寧なレッスンで定評がある。
『実力が120%発揮できる!ピアノがうまくなる からだ作りワークブック』、『実力が120%発揮できる!緊張しない からだ作りワークブック』(ともにヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)の著者。
アレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこのプロフィールの詳細