Patrick Macdonald.

パトリック・マクドナルドは、F.M.アレクサンダーから直接訓練を受けた第1世代のアレクサンダー・テクニークの教師。

 

生涯

 

父親は英国医師協会会長も務め、F.M.アレクサンダーの有力な支持者ピーター・マクドナルド。その関係から子ども時代からレッスンを受けた。

 

本人はF.M.アレクサンダーから直接訓練を受けた第一世代の代表的な教師。F.M.のアシスタントを務めた。

 

先天性前弯を患い、そのため生涯にわたって自分自身に強力なディレクションを与え続けた。病気は障害治らなかったが、ボクシングなどの激しいスポーツもしたので、病気の影響はアレクサンダー・テクニークの実践で跳ね除けたといえる。

 

第1回トレーニングの途中で、他のトレーニーたちに呼びかけ、トレーニーによる自主練習会を呼びかけた。この自主練習会によって、いちばん最初の訓練生たちは、手と言葉を使って適切に教えることができるようになった。
まもなくグループは2つに分かれたが、その1つの中心人物になった。

 

父のピーター・マクドナルドがF.M.アレクサンダーの有力な支持者であったこともあり、パトリック・マクドナルドには、最初からアレクサンダーテクニーク教師という職業を確固としたものにしようという志が強かったのではないかと筆者は思う。

 

 

解剖学にもよく通じており、第1回トレーニング中に、アレクサンダー・テクニークの代表的な4つのディレクションの一部のallow the neck to be freeの意味が、「環椎後頭関節を自由にする」ことだと喝破した。

 

 

F.M.アレクサンダーの生前から、教師による協会の設立に尽力し(それも災いしてF.M.と必ずしも良好な関係を保つことはできなかった)、根気強くF.M.アレクサンダーと交渉を続け、譲歩を引き出した。マクドナルドは、タフ・ネゴシエーターであった。
しかし、実際に協会を設立できたのは、F.M.アレクサンダーの死後である。1957年にSTAT(The Society of the teachers of the Alexander Technique)設立の中心メンバーとなった。

 

ウォルター・カリントンウィルフレッド・バーロウとは関係を壊したが、マージョリー・バーロウ(F.M.とA.R.の姪で、ウィルフレッドの妻)とは生涯良好な関係を保った。

多くの弟子を育て、伝統的な教え方の2代潮流の1つ、マクドナルド系と呼ばれている。

マージョリー・バーロウによれば、パトリックは直接訓練したすべての教師たちをマージョリー・バーロウのもとに送りレッスンを受けさせたという(An examined lifeを参照)。

 

レッスンのスタイル


アレクサンダー・テクニークの伝統的なプロシージャー(手順)を中心に教えた。

機能的優位な姿勢をとるときに、足を広く広げ、胴体をあまり傾けない。Back directionを非常に重視した。

お弟子さんたちは、一見みな同じようなスタイルでレッスンするが、筆者の経験ではその手から与える情報にはおひとりおひとりかなりの多様性があり、系統として豊かだと言える。

マスター・ティーチャーと呼ばれた方たちで、筆者が個人的に2番目に共感するのは、パトリック・マクドナルド師である。