アイリーニ・タスカー

モンテッソーリ教育教師だったアレクサンダーテクニーク教師

TASKER先にレッスンを受けていたモンテーソーリ教育の教師仲間のエセル・ウェブに誘われて、F.M.アレクサンダーのレッスンを受け始める。

アレクサンダーテクニーク教師養成コースを創設する前に、エセル・ウェブとともにアシスタントとして、アレクサンダーテクニークを教えることを許可された。

ちなみにアレクサンダーテクニーク教師養成コースのスタート以前にアレクサンダーテクニークを教えることを許可されたのは3人のみ(残りの1人はA.R.アレクサンダー)。

アレクサンダーテクニークの原理を生かしたリトル・スクールの校長に就任

F.M.アレクサンダーが支援者たちの出資で始めたリトル・スクール(小学校と中学校を合わせた学校でアレクサンダーテクニークの原理を教育の中心に据えたと言われている)の校長を務めた(この学校は第2次世界大戦中に休止し、その後再開されることはなかった)。

この学校について、ルーリー・ウェストフェルトが「死んじゃった方がマシとまで思えた少年が、数か月後には輝かんばかりの魅力的な少年に変容した」と著書『アレクサンダーと私』に書いた。

第1期アレクサンダーテクニーク教師養成コースで教える

第1期のアレクサンダーテクニーク教師養成コースが始まると、エセル・ウェブとともにクラスのアシスタントとして参加した。

同じ頃F.M.が書き始めた”The Use of the Self”の執筆を助けた(アレクサンダーテクニーク教師マージョリー・バーストウによるセンターライン・エクスプレス版の”The Use of the Self”の序を参照した)。

南アフリカで最初にアレクサンダーテクニークを教える

アレクサンダーテクニークの原理を生かしたリトル・スクールが閉じた後、南アフリカに渡り教え始める。初めて南アフリカで継続的にアレクサンダーテクニークを教えたアレクサンダーテクニーク教師である。

1943年からは、医師で解剖学者で、人類学者としてアウストラロピテクスを発見した、レイモンド・ダート博士レイモンド・ダート博士が継続的とその家族が継続的にレッスンを受けた(※1 レイモンド・ダート博士自身が書いた、”An Anatomist’s Tribute to F.Matthias Alexander” を参照した)。

南アフリカでのアレクサンダーテクニーク教師の後任

アイリーニ・タスカーの南アフリカでの後任のアレクサンダーテクニーク教師は、F.M.アレクサンダーの直弟子のディック&エリザベス・ウォーカー夫妻が務めた

アレクサンダーテクニーク教師として再評価が始まる

アイリーニ・タスカーはInvisible womanだった。近年アレクサンダーテクニーク教師のあいだで再評価が始まったばかり(アレクサンダーテクニーク教師 新海みどりさんのシェアを参照)。

ABOUT US
かわかみ ひろひこアレクサンダーテクニークの学校 代表
第3世代のアレクサンダーテクニーク教師。2003年より教えている。 依頼人である生徒さんへの共感力、課題改善のための活動の動きや言葉に対する観察力と分析力、適確な指示、丁寧なレッスンで定評がある。
『実力が120%発揮できる!ピアノがうまくなる からだ作りワークブック』、『実力が120%発揮できる!緊張しない からだ作りワークブック』(ともにヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)の著者。
アレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこのプロフィールの詳細