自己

アレクサンダーテクニークを使って撮影した蓮の花

アレクサンダーテクニークの発見者F.M.アレクサンダー(1869-1955)自身のていぎによると、アレクサンダーテクニークは、自己(self)の使い方のワークである。また刺激に対する反応を変えるワークである。また刺激に対するあたかも反射的な癖(くせ)をやめていくワークと定義している。
 

 

そして、自己(self)については、the unity of body, mind and spiritと定義した。つまり、からだ(身体) と こころ(心、人間の内面) と 霊性(スピリチュアリティ) が結びついたものであると定義した。

 

その後、F.M.アレクサンダーの支持者たち(知識人や科学者たち)から、霊性を入れると、誤解されるのではないかという指摘を受けて、自己は、こころ と からだ が不可分に結びついたものと定義しなおした。

 

F.M.アレクサンダーが、両者の結びつきを強調しつつ、体にも心にも一元化していないことは注目に値する。

 

西洋では、プラトンプロティノスの影響で長らく、一元化させる心身一元論が支配的であった。通常キリスト教神学は、アリストテレスの影響を受けていると言われている。

 

しかし、このキリスト教神学に強い影響を与えた”アリストテレス”は、プロティノスの影響を受けた新プラトン主義者の解釈したアリストテレスであり、結果的にキリスト教神学に、プロティノスの影響を見ることができる(『プロティノスの認識論―一なるものからの分化・展開 』岡野 利津子 著 知泉書館  2008年10月を参照した)。

 

ちなみに、イスラム哲学も、新プラトン主義者の解釈したアリストテレスの影響を受けたこころに一元化する一元論の立場をとっており、インド哲学のもっとも有力な考え方も、心に一元化する不二一元論という立場を取っている。

 

 

その後ルネ・デカルト(1596-1650)が登場し、心と身体は別物であると唱えた※。そしてF.M.アレクサンダーが現れたのは、体=肉体は下位のもの(単なる道具)という考え方が支配的になり、植民地主義や帝国主義が進行し、資本家と労働者との格差が拡大した時代であった。

 

つまり、だれかを道具のように扱って、自己の利益を最大化しようとする考え方と、それに対するアンチテーゼが生まれた時代で、いろいろとうまくいかなくなった時代であった(現代もさほど血が縄息もするが。。。)。

 

※デカルトは、『情念論』の中では、肉体と心は分かちがたく結びついているという、彼の持論とは矛盾した内容を記している。

 

F.M.アレクサンダーの言ったことは、当時としては非常に画期的であった。

 

 

ちなみに現代の科学は、心身一元論(心脳一元論)の立場を取るが、体(脳)に一元化する立場である。また、このような科学的な体(脳)に一元化する心身一元論の論者は、しばしばプラトン・プロティノス以降の西洋の伝統的な心身一元論を二元論を呼ぶことがあるので、注意が必要である。

 

 

ボディワークとソマティック・エデュケーション

かつてロルフ研究所のWEBには、アイダ・ロルフ博士は、アレクサンダーテクニークのレッスンを受けたと書いてあったが、先行するアレクサンダーテクニークのワークやフェルデンクライス・メソッドの著作に影響を受けて、独自にアイダ・ロルフ博士はロルフィングというワークを編み出した(アメリカでは、今日的には、ストラクチュアル・インテグレーションと呼ばれることが多い)。

 

そのアイダ・ロルフ博士は、人間性回復運動という潮流のなかで、bodyの意味を欧米の伝統的な枠組みから離れて、新しい定義づけをし、ボディワークということがを作った。

 

しかし、人間性回復運動そのものが、アメリカ国内のローカルな運動にすぎず、人類の哲学史・思想史に大きな影響を与えたとは言い難く、人間性回復運動はアメリカ合衆国でも、さほどメジャーな潮流を生み出すことはできなかった。

 

その一方で、ボディワークという言葉hは、ロルフ博士の考えと離れて独り歩きし、人間性回復運動より有名になり、格好よく見せるための肉体改造(筋トレ)という意味でも使われるようになった。具体例として、フジテレビのアナマガというインターネット番組のネットの音声付き動画広告(2019年)では、英語版と日本語版の両方を聴くとそのように使用されていることが分かる。

 

そこで、生前はフェルデンクライス・メソッドの教師であったトーマス・ハンナは(現在はハンナ・ソマティクスの創始者とされているが)、心と身体をひとつのものとしてとらえ、その分かちがたい心と身体を教育するさまざまなワークを、ソマティック・エデュケーションと呼んだ。

 

ちなみにアメリカのアレクサンダーテクニーク教師は、ボディワークという言葉を好まず、ソマティック・エデュケーションならOKという人が多い。

 

しかし、ヨーロッパのアレクサンダーテクニーク教師は、ボディワークという言葉で呼ばれることを好まないのは同じだが、そもそもソマティック・エデュケーションという言葉を知らない人が多いし、異なる原理に基づく複数の異なるワークの総称をわざわざ使用することについて懐疑的な人が多い。

 

ちなみに欧米のアレクサンダーテクニーク教師がボディワークという言葉をどれくらい嫌うかと言うと、レッスン中にその発言を生徒さんが行うと、その場が凍りつくほどである。

 

 

ボディワークやソマティック・エデュケーションという用語が誕生した経緯については、次の2つの本に掲載されている。

  • 『自己調整力を高めるボディワーク 身体感覚を取り戻す ハンナ・ソマティクス』平澤昌子 著2013年6月 BAB
  • 『世界で愛される癒しのエサレンメソッド【心で触れるボディワーク】』鎌田麻莉(ゆったりセラピーの創始者)著 2017年11月 BAB

後者の方がより広範で、より広範で、より公平な視点で書かれている。

 

 

日本語での用例

なお、日本人のアレクサンダーテクニークの教師が、”からだの使い方”とか”カラダの使い方”とWEBや本に書くには、本当はそうでないのだけれど、”からだ と こころ と霊性の結びついたもの”の使い方などと言おうものなら、へんてこりんな新興宗教だと勘違いされ、敬遠されるのを防ぐための苦肉の策である。

 

日本語の”からだ”には”こころ”が含まれるという考え方もある。

 

 

参考文献は随時補います。