アレクサンダーテクニークでハイになる、ロウになる
アレクサンダー・ハイとアレクサンダー・ロウ、どちらも私の造語ですが、体験されている方は多いようです。
アレクサンダーに限りませんが、なにかワークを経験すると、
- ものすごく幸福感に満ち満ちる
- 世界全体との一体感を感じる
- なんでもできるような気がする
- 急にものすごく体調がよくなる
ということがあります。これはそのワークを行うアレクサンダーテクニーク教師が経験が短かったり、稚拙だったりしても起こりえます。
そして、アレクサンダーテクニークのレッスンでハイになる経験をすると、必ず落ちます。と言いますのも、人の体調や気分は振り子のようにいつも動いていて、大きく振れれば、振り返しも大きくなるのです。
- 日常がとても不幸で退屈なものに感じられる(だからと言って、本当に希望がないわけではないはずなのですが。。。)
- ひとり取り残されたような気分になる
- 現実なにかができるようになったわけではない
- そのうち、肉体的・精神的健康の度合いが悪くなり。。。
私自身も生徒の立場で経験しましたし、アレクサンダーテクニーク教師になりたての頃は、生徒さんの痛みや不快な状況がその場で改善するようにアレクサンダーテクニークのレッスンをしていました。あるいはパフォーマンスが改善したり、活動中のからだが楽になることを目的にレッスンしていました。
だんだんそういうことは減りましたが、それでも最近でも気をつけないと過失を犯すことがあります。
ここのところは境界が難しくて、もちろんまったくレッスンで「よいこと」が起こらなければ、レッスンを受ける意味は、少なくても生徒さんにはない訳ですし、基本に気づきと学びがあれば、変化は必然的に起こるのだから、そういった変化は当然起こります。
急にアレクサンダーテクニークの生徒さんが明るくなったり、様子が変ったりしたら注意が必要
しかし、とても暗い雰囲気だった生徒さんの服装が急におしゃれになったり、レッスンについてほめてくださったりする様子があまりにも幸福感に満ち満ちている感じがするときには、注意が必要です。
未熟なアレクサンダー教師であれば、このとき「私も、よい教師になったんだ」って思うのかもしれませんが。
もっとも、ワーク中の幸福感を完全に否定するわけではありません。
それは時として、絶望的に感じられる(でも本当はそうじゃないのかもしれないけれど)日常に希望を与えることもあります。そのおかげで、なんとか生きられることもあるでしょう。
また、学ぶ意欲が高まることもあります(それがずっと続くと、師弟間の相互依存関係になってしまうのですが)。
アレクサンダー教師として、気をつけるのは、レッスンのあいだに、生徒さんをなるべくハイとロウの中間の領域に戻すことです。
中間の領域に戻ることができれば、振れ幅の許容量が大きくなり、
なにかストレスを与える事態が生じても、耐性が増しますし、
舞台の本番を迎えても、いっぱいいっぱいになったり、上がったりすることが少なくなります。
このことは経験的になんとなく知っていて、でもずっと不明瞭でした。
明瞭になったのは、Somatic Experiencingの3年間のトレーニングを終えてからです。
そういうものを学ばなくても、すでに気がついているアレクサンダー教師の方はいらっしゃるのでしょう。でも、私はひとりでそれを明確にできませんでした。
気がついてみたら、なんのことはないことで、ずっと昔からアレクサンダー・テクニークの世界で言われていたことです。
アレクサンダーテクニークの第1世代の教師ルーリー・ウェストフェルトさんの経験
ルーリー・ウェストフェルトさんという第1世代のアレクサンダー教師の方が著書に書いているエピソードです。
彼女が初回のレッスンをアレクサンダー・テクニークの発見者F.M.アレクサンダーから受けた後で、とても幸福感に満ち満ちて、レッスンルームを出て廊下を歩いていたら、F.M.アレクサンダーの弟のA.R.アレクサンダーから呼び止められて、
「君は、F.M.から受けていたレッスンを台無しにしている」
という注意を受けました。
レッスンへの基本的な態度について重要な注意をいただいたのです、
彼女は、このことについて、A.R.はよく分からんことを言う嫌な人だという印象を持ったようで、不快感を著書のなかで思いっきり表明しています。
しかし、A.R.の言ったことには、適切だったのでしょう。ルーリーがそのアドバイスから学んだかどうかは別にして。
いずれにしても、レッスンの正確な記録を残してくださったルーリーには感謝します。
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