-2008年
F.M.アレクサンダー(1869-1955)から訓練を受けた第1世代のアレクサンダーテクニーク教師。アメリカ人。アメリカの一部のアレクサンダーテクニーク教師を中心に、彼をマスター・ティーチャーと呼ぶ人たちもいるが、イギリスでは無名。
A.R.アレクサンダーのアシスタントを務めたと小耳にはさんだことがある。
本人は、ほとんどアレクサンダーテクニークを教えることはなく、大学の学生の相談を受ける仕事をしていた(2004年、シアトル在住の座間晶子の談話)。
アレクサンダーテクニークのインターナショナル・コングレスが開催されると、詳細なレポートを書いて、コミュニティに貢献した。
エピソード
なぜレッスンをしなかったのか?
アレクサンダーテクニークの教師でLearning Methodの創始者のデイビッド・ゴーマンによると、ガマリーはゴーマンのレッスンを受け、「手が震える病気のためにレッスンをしなかった」と語ったという。
そして、ゴーマンは、ガマリーに向かって、ゴーマンに手を置いてワークするように指示し、ガマリーは手を置いてワークした。
手は震えていたが、素晴らしいワークだった。しかし、そのときすでにガマリーは人生の大半を終えており、遅すぎたとゴーマンは私に語った。
マージョリ・バーストウへの評価
シアトルのパフォーマンス・スクールというアレクサンダーテクニークの教師養成コースを訪問したときに、当時訓練生だった座間晶子に、「A.R.アレクサンダーのアシスタントをしていた頃は、マージの手は堅かったよ」と語った。
マージとは。第1世代の代表劇教師の一人のマージョリー・バーストウのこと。
交友関係&家族
第2世代の代表的なアレクサンダーテクニーク教師のブルース・ファートマンへの信頼が厚く、ガマリーは息子の訓練をブルースに託し、息子はアレクサンダーテクニーク教師になった。
その息子さんと、2004年のオックスフォード・コングレスで、筆者はエクスチェンジ・レッスンをした。