アメリカ合衆国出身、F.M.アレクサンダーによる第1回教師トレーニングを修了した第1世代のアレクサンダー・テクニーク教師。

小児麻痺のため少女時代に足首を固定する手術を受けるが、ますます「からだ」が不自由になった。

イギリスの親戚を訪れたときに、F.M.アレクサンダーのレッスンを受け、ワークの虜になる。

後に第1回教師トレーニング・コースに参加。

訓練生たちの自主練習会のグループは、パトリック・マクドナルドのグループに参加。

 

F.M.アレクサンダーのことを恨み、著作でF.M.&A.R.アレクサンダーをこき下ろした。

 

ルーリーがF.M.アレクサンダーを憎んだのは、アーシュレイ・プレイス(F.M.アレクサンダーのオフィス)がアメリカ合衆国のある人物からの問い合わせに、「合衆国には、F.M.アレクサンダーのワークを教えられる人がいない」と答えたことが理由のようだ。

しかし、F.M.アレクサンダーの姪のマージョリー・バーロウによると、おそらくその手紙を書いたのは、F.M.アレクサンダーに心酔し、終生彼の秘書を務めたエセル・ウェブであろうとのことである。

つまりルーリーは誤解からF.M.を憎んでいたということになる。

実際、ルーリーの本のF.M.アレクサンダーの悪口部分を除いて読むと、F.M.アレクサンダーはルーリーにも他の人たちにもとても質の高い、かつ適切なレッスンをしていたことが分かる。

 

またA.R.アレクサンダーに対して恨みを抱いたのは、訓練を終えて帰国したときに、ちょうどボストンで教えていたA.R.アレクサンダーから「アシスタントにならないか」というオファーをされたことに腹を立てたようだ。

ルーリーは、「私を教師として同等に扱ってくれないからA.R.は不当だ」と著書に書いているが、具体的に彼がどうしたのか書いていない。しかし、少し早く帰国したマージョリー・バーストウに対して、A.R.アレクサンダーは「アシスタントにならないか」とオファーしているので、同じオファーをしたことは間違いないようだ(マージョリー・バーストウはそのオファーを受けて、3年間アシスタントを務めた)。

 

晩年はテーブル・ワークのみ行ったと伝えられている。