上野の不忍池の蓮の花

上野の不忍池の蓮の花

茂木健一郎さんの本(P.220-232,301『茂木健一郎の脳科学抗議』)で知ったのですが、チクセント・ミハイという社会心理学者の方が人間の能力をじゅうぶんに出し切るための研究、フロー体験の研究をしています。

 

フローというのは、「1つの活動に深く投入しているので他の何ものも問題とならなくなる状態、その経験事態が非常に楽しいので、純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすような状態」(P.5『フロー体験 喜びの現象学』チクセント・ミハイ著 世界思想社)です。最適経験とも言います(前掲)。
ソーン体験とも呼ばれているようです。

 

自分自身の殻を打ち破り、成長させることができるようなきっかけになりえます。

 

次のようにまったく異なる活動でも、それがまったくうまくいっているときには同じように表現されます。

長距離泳者が英仏海峡を横断するとき、

チェスのプレーヤーが対戦しているとき

クライマー難しい岸壁をよじ登るとき

作曲家が新しい四重奏曲を作曲するとき

スラム街のティーンエイジャーがバスケットの選手権に出場しているとき

瞑想しているとき

バイクで暴走しているとき

読書をしているとき

そして文化、近代化の段階、社会階層、年齢、性の相違にかかわらず、同様に表現しています。

しばしば大きな身体的努力や高度に訓練された知的活動を必要とします。

(P.61-3、69前掲を参照)

 

もっとも私たちの記憶に新鮮に残っているのは、シドニーオリンピックのマラソン競技で優勝した高橋尚子さん(1972-)がNHKの特番のインタビューで、サングラスを捨ててリディア・シモンさんを引き離してスパートをかけた後のことを明かされたことかもしれません。確か次のように語っていました。
「とても楽しくて、このままずっといっしょに走っていたい。」

 

このような世界的な記録を持っていない私たちの場合も、たとえば忙しいときに大急ぎでダイレクトメールの封入作業をしているとき(いきなりローカルな話で、しかもスケールダウンして申し訳ありません)、慣れない農作業を経験しているときに体験することがあります。

 

チクセント・ミハイによると、フロー体験には、おおよそ次の8つの要素のうちの少なくても1つ、しばしば全部を含むそうです。

(1)通常は達成できる見通しのある課題と取り組んでいるとき

フロー体験の圧倒的大部分は、注意力を必要とし(目標を志向し、ルールによって条件が限定されている)、そして実現するのに能力(スキル)が必要とされるもののときに生じる

 

(2)自分のしていることに集中できている

自分のしている活動にあまりにも没入していて、活動がほとんど自動的になっている。そして現在行っている行為と切り離された自分自身を意識することがなくなる。

 

(3)活動に明瞭な目標がある

目標が事前に明確ではない創造的活動の場合は自分自身の活動への意図を明確にしなければならない。

(3)の明確な目標については、「フローに入りやすくすることが目的であるなら、協調すべきなのは”目標”ではなく”明確な”の部分である。思考の明確さは確実性をもたらす。なにをすべきかがわかるし、どこに注意を注ぐべきかも分かる」(『超人の秘密~エクストリームスポーツとフロー体験』(早川書房 スティーヴン・コトラー著 熊谷玲美訳 233ページ)

 

競技に勝って「表彰台に乗るような瞬間を考えていると、”現在”から遠ざかってしまいかねない。例え成功が目の前だとしても、それはまだ未来の出来事であり、それに伴う期待や不安といったさまざまな要素のせいで、”現在”に集中できなくなってしまう」(前掲 232ページ)

 

私見だが、アレクサンダーテクニークの用語を用いて、ここはむしろ”明確なディレクション”、”ミーンズウェアバイについての明確さ”と言った方がよいように思う。

ディレクションについては、こちらを参照ください。

ミーンズウェアバイについては、こちらをご参照ください。

2017年9月4日追記

 

(4)活動に直接的なフィードバックがある

他者からのフィードバックであることもあるし、自分自身で分かることもある。

 

(5)日々の生活の気苦労や欲求不満から意識が自由になり、深いけれど無理のない没入状態で活動している

すなわち、現在行っている活動に無関係な情報が意識の中に入って来る余地がなく、しばしば自分自身に対する深い信頼を伴う。

 

 

(6)経験は楽しく、自分の行為をコントロールしている感覚を伴う

より正確には自分自身がコントロールできているという可能性をとともにその行為を行っている。

 

(7)活動中は行為と一体となり、自己に対する低い評価や怯えは消失するが、フロー体験後に自己感覚はより強く現れる

活動中は、自分という存在の境界が押し広げられたという感覚を伴うことがある。

活動後は、新しい能力と新しい達成により高められた自分自身に気づく。

 

(8)時間の経過の感覚が変わる。

長くなったり、短くなったり。

 

 

 

以下は私見です。

 

ドイツを代表するプロのサッカー選手である、アーロン・ハントは、アレクサンダーテクニークのレッスンを受講するようになって、

「ゴール前での緊張なくなり効果的動けるようになった」

とインタビューに答えています(写真スポーツ誌 Number 2006年2月 (643号) [文藝春秋社]より引用)。

上記の条件の少なくても(1)から(4)を満たしています。

アーロン・ハントについては、アレクサンダーテクニークで得られた経験とフロー体験は、同じだと言ってよいでしょう。

2017年9月4日追記

 

 

アレクサンダー・テクニークを実践することによりゾーン体験・フロー状態に入る条件が整いやすくなります。

 

なぜなら、

1.刺激に対する反応を変えていくことを通して、あるいは誤った方向づけが減ることによって、今この場で行っている活動にじゅうぶんな注意が払えるようになり、

 

2.必要なことはすべてやった上で、成果が得られるかどうかという焦りの感情からは自由になり、

3.自分の身体に対する不快なフィードバックが減り、

4.スキルを向上させることができ、

5.そして自分自身全体や活動に注意を行きわたらせることが容易になるからです。

 

またフロー体験後の故障・不調が減ります。しばしばフロー状態になると、肉体的な不快感がなくなりますが、もし活動中に「からだ」機能に反した誤った使い方をすれば肉体的なダメージ(故障やけが)を被り、フロー体験後に痛みや不調を経験します。

 

自分の知らないうちに怪我をして、後になってそれに気づく、スポーツマン・演奏者・ダンサーのいかに多いことか!

 

もちろん一時的に活動中に痛みから自由になれることは財産になりますが、肉体的なダメージが反復継続すれば、精神にも影響を与えます。なぜなら両者は不可分だから。

 

そして肉体的なダメージによって、アスリートとしての、パフォーマーとしての、あるいは人間としての寿命を縮めてしまうことがあります。
私たちひとりひとりは使い捨てにできない、取り換えのきかない存在なのです。

 

自分自身を適切に使うことで、肉体的なダメージが減りますし、ふだんから懸念している肉体的・精神的苦痛を理由とするフローへの逃避(例えば仕事中毒)も減ります。

 

特に男性は、滅私奉公・自己犠牲という方向に走りやすいから、「家族のため」と思って働いているのに、家族からはまったく理解されないということが起こりがちです。

 

もちろんお仕事をバリバリやっていくのは大事ですよね。

 

しかし、場合によっては、注意の質を変えていく必要があるかもしれません。

 

人によっては、身体に故障を抱えていても、例えば演奏に没入することで、故障を克服することがあります。文字通り故障しなくなるのです。
そういう方は指導者になったときに、「調子が悪い、腕が引っかかるなどと四の五の言わずにもっと練習しなさい。音楽に入って行きなさい」とおっしゃいます。

しかしフローに入ることによって、困難をすべて克服できる方は、非常にまれな恵まれた人です。

 

残念ながらチクセントミハイの本には、どうしてある人たちはフロー体験後に肉体的なダメージを克服できる一方で、他方そうではない方たちもいることについて、その差がどうして生まれるのかについて何の説明もしていません。

 

 

初出 2009年07月23日 10:18 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44769754&comm_id=1240902