少し話が戻りますが、1998年10月の西荻窪でのジェレミー・チャンスさんのアレクサンダーテクニークの最後に小野ひとみさんがいらっしゃいました。
イギリスで訓練を受けられた方で、大阪や東京で教えていらっしゃるとおっしゃいました。イムレさん以外に頻繁に東京で教えている方がいることを初めて知りました。
当時はインターネット上にあったアレクサンダーテクニークの情報は、札幌の舞踏家の方のホームページに掲載されている情報だけだったのです。
ちなみに日本で最初にアレクサンダー教師自身のホームページを作られたのは、1999年でしたが、それは石井ゆりこさんのホームページでした。
彼女はご自分では自覚なさっていらっしゃらないけれど、マーケティングのセンスや能力が抜群です。
卒業から半年しないうちにページを立ち上げられました。お人柄も誠実です。
こういう人が本当に強い人なのだと当時(今も)思ったものです。
1999年の1月にブルース・ファートマン氏が横浜でワークショップを開催しました。
いつものように多くの生徒たち&京都のKAPPAのトレーニー(訓練生)たちとKAPPA卒業の教師たち。
このワークショップにジェレミーさんもやってきて、ブルースさんと学校を始めるとふたりで発表されました。
私は胸を撫で下ろしました。
そして3月には東京の名無しのトレーニングコースのプレ開校ワークショップ。このときも京都のKAPPAのトレーニーの方たち、教師の方たちが応援に駆けつけてくれました。
新しいトレーニングコースには、小野ひとみさんも加わってくださるという話も伺いました。
すべてがうまく行っているような、けれど一抹の不安が。。。
私はプレ開校ワークショップの2日目は参加せず、京都の芳野香先生のレッスンを受けに行ったのですが、そこで、芳野香先生から、ジェレミーさんからじゅうぶんな説明を受けてないと伺いました。
あわててジェレミーさんや片桐ユズルさんに連絡を取り、お話しくださったようです。
とりあえず当初の私とTさんのもくろみ通り、すべてのアレクサンダー教師を巻き込んで、東京の教師
養成コースが始まりました。
私は、結局かなり無理をして教師養成コースに参加しました。
当初教師養成コースができたら、アレクサンダーテクニークの世界からフェードアウトする予定だった私がトレーニングに参加したのは、いくつか理由がありました。
どうも当時の東京のトレーニーたちが他力本願で、自分で率先して何かをする人たちではないように思えたこと。
お話していて、翻訳ではなく、日本人の日本人によるレッスンという観点を持つ人が少ないように思えたこと。
とりあえずまとまったスタートしたけれど、ジェレミーさんの取りまとめの能力や説明の能力に疑問を感じ、そうであれば、私が近くにいてサポートしようと(実際涙ぐましいくらいに、かなりサポートしたんです。他のトレーニーと同じように授業料を払いながら)。
今から思うと、どうやら3つとも、おおむね当たっていたように思います。
3つめについては、ジェレミーさんは、彼自身がアイディアマンで自分で思いついたアイディアを実現していくタイプ、そして彼のアイディアを実現するためにスタッフを必要とするタイプの人だということです。
かく申す私自身も、自ら道を切り拓くタイプです。
トレーニング・コースでは貴重な学びがありました。本当に深く、貴重な学び。けれど結局は根本的なところで、満足できなかった。自分自身で満足できるワークを作っていくしかないのだと。
話を戻すと、全員参加型体制は、ブルースさんがまず抜けて、2000年9月の教師ミーティングで大半の日本人の教師たちが抜けて、終わりました。
なお、イムレ・トールマンさんは1999年5月にいったん東京を離れ、その後2002年に東京に再び戻っていらっしゃいました。そしてその後ドイツへ。現在はベルリンにお住まいです。日本にいらっしゃるあいだは、教師養成コースでも教えてくださいました。
ブルース・ファートマンさんは、1999年10月に京都で、2003年になってから東京で、ご自身の教師養成コースを始められました。
ブルースさんじ私が最後にお会いしたのは2003年5月でした。自分自身が教え始めてから、ブルースさんのことを思うと、いつも胸が痛くなります。
私は、ジェレミーさんを中心にして教師養成コースを立ち上げることで、ブルースさんの生徒さんたちを奪ったのだという思いが湧き上がります。本当に申し訳なく思っています。
私は2000年10月に勤務先が倒産したこともあり、この間身動きが取れず、結局全員参加型体制を守ることはできませんでした。
2000年9月から10月にかけて、そしてトレーニング期間中は、全員体制が崩れたことがとても悔しく、悲しいことでした。そしてそれは今でもとても残念なことです。
けれど自分自身が2003年12月に教師養成コースを修了して、翌々日には苦手だったグループレッスンを教え、精力的に教え始めると、少しずつ考えが変わっていきました。
結局は、自分自身がやれることをせいいっぱいやる、それしかないのだと思いました。
アレクサンダーテクニークを広げようとするのであれば、私自身が日本中のどこへでも出かけていくしかないと思い始めました。
私のところには、私に合った方たちが訪れ、他の教師の方たちのもとへはその方たちに合った方たちが訪れる。結局はそういうことなのだと。
思ったことは手がけよう。不十分ではありますが、北から南まで、飛び回るようになりました。
それはお世話になった先生たちへの恩返しでもあります。
初出 2011年11月23日 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66420803&comm_id=1240902
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