アレクサンダーテクニーク教師のひろひこ@(^-^)ノです。

1997年から1999年ころの東京方面でのアレクサンダーテクニークの状況について振り返ってみようと思います。なぜ1997年か、それは私が実際にアレクサンダーテクニークを学び始めたのが1997年だったからです(本を読むことによってではなく、実際にアレクサンダーテクニークの教師から学び始めたという意味です)。1997年当時、OSのウィンドウズ95は未だ完成度が低く、携帯はまだ大きく、アイフォンなどなく、ホームページも今のように情報で溢れていませんでした。

 

1997年、当時の東京にはイムレトールマンさんというドイツ系のスイス人のアレクサンダーテクニークの教師が住んでいる以外に誰も教師は東京に住んでいませんでした。イムレさんは、野口体操こんにゃく体操)の野口三千三先生からかわいがられた方です。この野口先生が、東京藝術大学で教えていらしたことがあったので、50代以上の音楽家の方の中には、野口体操と親しんでいらっしゃる方が大勢いらっしゃいます。

 

私がイムレさんのレッスンを受け始めたのは1997年の4月、ここではどうやって彼のレッスンにたどり着いたかについては触れませんが、イムレさんに辿りつけたのは些細な偶然の積み重ねと、私自身が当時アレクサンダーテクニークを必要としていたということが大きかったように思います。

当時レッスンを受け始めることができたのは、ラッキーでした。

 

その数年前から、実はブルースファートマンさんというベテランのアレクサンダー教師が東京で8月ころと1月ころにワークショップをされていました。私がブルースさんのクラスに出るようになったのは1997年の8月から。

 

夏になるとイムレさんが暑いのが厭でヨーロッパに帰ってしまいます。
「私は、そのあいだどうしたらよいの?」って聞いたら、

「夏にブルース・ファートマンさんがワークショップをするから、受けたら」と提案されました。

そして、イムレさんから、ブルース・ファートマンさんのトレーニングを終えた石坪佐季子さんの連絡先を教えていただきました
イムレさんがいらっしゃる前は同じスイス人で、同じ教師要請コース出身のレグナシュグレネヒトという方が鎌倉で教えていらしたそうです。

 

したがって1997年当時東京でアレクサンダーテクニークのレッスンを受けた事のある方は、ほぼこの3人のうちのどなたかのレッスンを受講されたと言っても間違いないと思います。

 

その一方で京都・大阪方面には、海外から帰国したアレクサンダー教師や当時京都にあった2つの教師養成コースを終えた方たちがすでにいらしたので、東京に比べると非常にレッスンが盛んでした。

このように関西方面で(ひいては日本各地でアレクサンダーテクニークがさかんになっていったのは)片桐ユズルさんに負うところが大きかったといえます。

 

いつもイムレさんのレッスンを受けていると、1対1の個人レッスンでしたので、アレクサンダーを学ぶ仲間というのはできにくかったのですが(当時はtwitterもなかったし、ブログはあったのかしら?)、ブルースさんのワークショップはグループレッスンが行われていたので、ここでは毎回大勢の方にお会いすることができました。

 

ブルースさんは非常にグループ全体を非常にエレガントにオーガナイズされてました。

 

受講生の中には当時すでに有名だった方やその後有名になった方もいらっしゃいました。故人だと胴体力伊藤昇さんとか。。。現在もご活躍中の方だとロルフィングのXXさんとか、占い師の○○さんとか。。。

 

ゆるやかに東京でのアレクサンダーのコミュニティが出来上がりつつありました。
そしてその中の特に熱心な方たちが教師養成コースを東京で開催することを望んでいました。私は遠巻きに眺めていました。

 

私が知る限り、その話は1998年1月のブルースさんのワークショップで大きく話題になりました。みんなの声を受け取って、ブルースさんも教師養成コース立ち上げに尽力してくださることを約束してくださいました。

 

(そして1998年4月にはじめてジェレミー・チャンスさんが東京でワークショップをされました。RNさんという方が世話役をされました)

 

ところがその後の1998年8月のワークショップでは、その話題は出ず。進展しているのだか、進展していないのか、わからない状態。。。
東京のだれが責任を持ってリーダー(取りまとめ役)をするのかわからないし。。。

 

その前にフェルデンクライス・メソッドの関東での教師要請コースが始まり、貴重な人材がそちらに流れていきました。。。

 

これは私がリーダーシップを取るしかないなと思いました。
ちょうど同じとき、別の同じくらいの年のある男性の方も同じように思って、ふたりでそのことを話し合いました。

 

そして私がジェレミーさんをせっつき、その方がブルースさんをせっつくこと、帰国組みを含めた日本のアレクサンダー教師の意欲のある方全員に、新しく東京に作るアレクサンダーテクニークの教師養成コースにかかわっていただくことなどを取り決めました。

 

そしてさっそく動き始めました。

教師養成コースを作るには、まずトレーニングを受ける人が必要になりますが、数名いたので、これは大丈夫。
トレーニングをしてくれる教師。これも私たちが口説き落としたら、大丈夫
そして場所。これはなんとでもなる。
後は通訳が必要になります。実は通訳が最大のネックになりました。

 

しかし通訳については、ブルースさんのワークショップにでている知的で英語が得意な方たち、そして別のワークのオーガナイズにかかわっていらして大学の先生でもいらっしゃる、お声の素敵なYさん、数名をピックアップし、とりあえず1998年12月のジェレミーさんの東京でのワークショップ(オーガナイザーは私でした)の個人レッスンの通訳になってくださいと私が口説きました。

 

通訳については講師のジェレミーさんから

「アレクサンダーの通訳は素人にはできないから任せられない」

と言われましたが、

「そんなこと言ってたら、いつまでたっても教師養成コースができない。東京の熱心な受講者はトレーニングコースを望んでいる。あなたは東京で教師養成コースをしたいのでしょ」

と言って、オーガナイザー特権で押し切りました。

 

この頃のやりとりでジェレミーさんの態度には煮え切らないものを感じましたが(教師養成コースをやりたい雰囲気を匂わせていたくせに、いざとなったら、どうしたいのか明言を避け続けた)、決断してからの彼の行動はすばやかったです。

 

1998年12月土日通しのグループレッスンの2日目に、ジェレミーさんは1999年4月にアレクサンダーテクニークの教師養成コースを始めることを宣言されました。

 

個人レッスンの通訳さんたちが非常に優秀な方たちだったことも彼の決断の重要な後押しになったと私は思っています。

 

ふーやれやれ、世話のかかる人たちだったな、これで一安心。しばらく私はアレクサンダーテクニークのコミュニティから離れよう、ワークショップの準備で直前は徹夜だった私は、胸を撫で下ろしたのでした。

 

しかし、1つ懸念がありました。ジェレミーさんのWSにいらした方たちの多くは、ブルースさんから最初にアレクサンダーテクニークを学び始めた方たちだったのです。

 

「このトレーニングコースにはブルースさんにも関っていただく必要がある。うまく行くだろうか?」、そのことは私だけではなくて、教師養成コースに行こうと決断していた方たちがみな思っていたことでした。

 

そして、もう1つジェレミーさんから「君は来るんだよね?」

 

「なに言っているんだろう? 冗談かしら? 日本のサラリーマンて忙しいんだよ。無理に決まっているじゃない」、私はそう思いました。

 

初出 mixi 2011年11月14日 09:22 中編に続く