アレクサンダー・テクニークを使って、未知の世界に足を踏み入れる—ヴィヴィアン・マッキーさんのレッスンより

ヴィヴィアン・マッキーさん、かわかみ ひろひこ&妻の京子さん

ヴィヴィアン・マッキーさん、かわかみ ひろひこ&妻の京子さん
2012年10月2日 東京にて

2012年10月に教師と訓練生向けに開催されたヴィヴィアン・マッキーさんのお講座に参加しました。

 

お講座では、最初にプロシジャと言われる手順を行った後、楽器の演奏などのアクティビティのレッスンもありました。

 

ヴィヴィアンさんは、hands on back of the chairの手順を数名の生徒さんと行いました。
途中で、手順の「”肘が椅子の背もたれから離れていく”というのが分からない」と生徒さんが言いました。

 

ヴィヴィアンさんは、

「その質問については、後で答えるから。今は少し待ってね。そして考えて欲しいの。あなたは”分からない”と言った。確かに知的には理解していないかもしれない。でもあなたの腕や貴方の細胞やあなたのどこかは、もしかしたら何かを理解し始めているのかもしれない。

 

だからね、英語で”I wonder…”て、言うじゃない。これって、どういうことなのかしら?って。

 

”肘が椅子の背もたれから離れていくってどういうことかしら?  ”肘が椅子の背もたれから離れていくってどういうことかしら?って、繰り返し自分自身に聞いてくれないかしら? そうそう。今変わったわ」

 

このレッスンを受講して、改めて思ったことを書きます。

 

アレクサンダー・テクニークの生徒さんが選んだアクティビティ(活動)についてのレッスンを受け続けると、

「どうしてそうするのか?」「なぜそうするのか?」

ということを先生から問われ続け、自分自身もそのように問うのが正しいことだと思い始めることがある。

 

 

そして、そのような問を発する理由が、教師が率直にそのアクティビティーを知らないので質問するのであれば、なんの問題もないし、生徒さんが何をやりたいのか知りたいために聞くのもなんの問題もない。

また生徒さんに問うことで、生徒さんご自身がどうしてそういう手順を踏むのか発見するきっかけにもなりうる。

 

しかし、私たちは皆1歩先に何があるのかわからない世界に住んでいて、何かをやる前に予めすべてを知っているわけではない。

そう言えば、かつて私は教師トレーニングを受けている時に、「分からないから、お稽古ををするのではない?」と、質問した教師に問うたものだった。

 

さて、もし、あなたが次のようなことを実現させたいとする。

  • 管楽器を演奏するときにもっと楽に息を吸えるようになりたい
  • 踊るときにもっと自由に踊りたい
  • パソコンでお仕事をするときに、目の疲れや肩こりや首の痛みを減らしたい

 

それを実現するためには、今まで知っていたやり方ではないことを行う必要がある。それは慣れ親しんだところにはない。

 

だから、何かを行う前に、それをするのがどうしてか必ず知っていなければならないとしたら、知っている範囲でしか何かを行うことしかできない。

あるいはこれからずっと、そういうことを予め懇切丁寧に教えてくれるアレクサンダー・テクニークの教師から学ばなければならなくなる。

 

しかし、それは、本当にあなたのやりたいことだろうか?

 

もちろん、なんのために行うのか聞くのもたまにはよい。
けれど、自分で体験して、その意味を知るほうが学びは深くならないだろうか? 経験を重ねることが、アレクサンダー・テクニークを実践できる容易なる近道とはならないだろうか?

 

アレクサンダー・テクニークうんぬんを抜きにしても、”○○ってどういうことなのかしら?” ”○○ってどういうことなのかしら?” と問いながら、日常生活で新しい実験に取り組む。それを行えるものこそが、新しい世界に想像できるように、私は思う。

 

 

なお、余談ながら、ネイティブ・アメリカンのリパン・アパッチ族では、そのように物事に取り組むことを教えることをコヨーテ・ティーチングと呼んでいた。

 

ありがとう、ヴィヴィアンさん。私もそんなに間違っていなかったことが分かったよ。

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