映画「ちはやふる」上の句 妻の京子さんと見ました。

 

実は原作コミックのファンなので、ちょっと心配もしていましたが、よかったです。4月には下の句(後編)が公開されるようですが、できれば、「ちはやふる2」、「ちはやふる3」もそれぞれ上の句(前編)と下の句(後編)やって欲しいです。

 

 

原作で登場人物の太一君が競技かるたの先生に
「青春のすべてをかけても、新にはかなわないと思いました」と言うと、その道40年で未だに名人を目指している先生は
「そういうことは、青春のすべてをかけてから、言ってみてはどうだね?」
というセリフがありまして、あの場面、思い出すたびに涙が出ます。

 

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私がアレクサンダー・テクニークのレッスンを初めて受講したのは、19年前の1997年の4月でした。1年半スイス人の当時東京に唯一在住していたアレクサンダー教師のお兄さんからレッスンでお世話になり、その後7ヶ月間1ヶ月に1回京都の芳野香先生のところに通いました。

 

芳野先生のレッスンからは、本物のプロの心意気、手を使って確実に伝える高い能力が伝わってきました。精緻なレッスンでした。芳野先生のレッスンを受けて、このアレクサンダー・テクニークを教えるという仕事は、ものすごく大きな可能性があるのではないだろうか、ひょっとしたら人類の歴史を変えうるのではないかすら初めて感じました。

 

その後、素晴らしい先生、素敵な先生たちにたくさんお会いしましたが、あの頃芳野先生に感じたよう同じようなものを感じたことはありません。

ひとりを除いて。その人はアレクサンダー教師ではありませんでした。

 

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アレクサンダーテクニークのレッスンを受け始めて、2年経って教師トレーニングを受け始めました。トレーニング・コースに入ったのではなくて、トレーニング・コースを作って学び始めました。そのことは以前も書いたので詳しくは書きません。

 

トレーニングが始まって、1年くらい経ったときに、気がつきました。自分も含めて、才能に恵まれた人はいない。たぶんきちんと教えられるようになる人はいないだろう(どの業界にもいる平凡な教師にはなれるかもしれない)。ひとりの同級生Yよさんを除いて。
そして不思議だったのは、どうやら彼女の才能に、私以外はだれも気づいていないようだということでした。終わっているやん。。。

 

なるべくその人と組む機会を増やしました。組んだときにはいつも今まで学んだことのないことを多く学ぶことができました。

 

才能のある人にはかなわない。。。

 

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そういうぬるさがなくなったのは、2000年10月20日の当時の勤務先の倒産報道。翌年の4月から教師トレーニングをお休みして、外資に買われた勤務先の債権のために働き。。。

 

生き延びて半年後に教師要請コースに戻ってきたときに(実際に何人かは過労死しましたし、何人かは自律神経失調症やうつ病になって、いまだに回復していません)、ひとりで半年間ワークを続けてきたことは自信につながっていました。

 

しかし、やはりYよさんの才能には相変わらず敬服していました。

 

私は2003年の12月に教師養成コースを修了し、2日後には卒業して最初のグループレッスンを教えましたし、その次の週末は卒業して最初の個人レッスンを教え始めました。

 

ディレクターと折り合いの悪かったYよさんがコースを辞めたと聴いたのは、私が独立した教師として教え始めてから1年くらい経った時でした。

 

才能のある人を閉め出したディレクター氏のことは恨みました。凡人ばかりのトレーニング生のなかで、彼女だけが日本の歴史を変えうる唯一の人でしたから。

 

彼女がいないのであれば、もう私がやるしかない、はっきりと決意して2005年3月末に前職を退職して(届けを出したのはその半年前でしたが、半年間慰留されましたのでやめるのが遅くなりました)、フルタイムでアレクサンダー教師としてスタートしました。

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「ちはやふる」のあのセリフを読む度に、走馬灯のようにあの頃のことが甦ります。