3月30日(木)に、文芸批評家の若松英輔さんの読書会に久しぶりに出席しました。若松さんの会社が引越しした後の、初めての参加でした。

河合隼雄さんの処女作「ユング心理学入門」を取り上げました。

 

個人的には河合さんの本は、読みやすいのですが、入ってこない本です。言葉が足りないというか、なにがおっしゃりたいのかはっきりしない。けれど、若松さんのお話が聞きたくて行きました(そのまま自己紹介でお話ししました)。

 

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若松さん曰く、

これ処女作だから、言葉が足りないんですよ。私たちは、彼から問いかけられていると思って読むとよいかもね。

私たちは、光線を見ることができるが、光そのものは見ることはできない。

コトバそのものは見ることはできない。真理そのものは紙に書いて表現することができない。私たちが表現できるのは、コトバの影としての言葉なのだと。

 

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講座が始まると、溢れてくる若松さんの言葉に浸っていようか、できる限り書き残そうかといつも迷う。でも、書き残さないと、あとで”ここ”に戻ってくる縁(よすが)がなくなる。

 

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語り口はゆっくりに聞こえるけれど、かなり早口

「読むと書く」は、ひとりでないとできない。
デモは政治を批判するやり方として否定しないけれど、あれは”ひとり”で参加しないといけない。安倍さんの方を持つ気はしないけれど、「安倍死ね」ですよ。「死ね」なんて声高に言う人に、ボクは政治を任すことはできない。hン等に強いグループは、みんなひとりで参加しているグループです。

 

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それ、すごく分かる。だめなんだよねえ。そうやって流される人、生理的に受け付けられない。政治的な考え方が似ていれば似ているほど、いっしょにいたくない。

 

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この2人のクライアントの夢の共通点は、海水浴。そしてこの海水浴は人生を意味している。

プールでは格好よく速く泳げるけれど、海では波があって無理。最後まで泳ぎぎらないと、途中で死んでしまう。

トライアスロンと違って、ゴールがどこなのか、いつまで続くのかも分からない。

 

河合さんが気づいていなかったと思うけれど、おそらく河合さんにとっても、海水浴は人生を意味している。

 

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以前受講した、井上洋治神父に関する若松さんの講演会を思い出しました(若松さんの働きかけで、最近全集が刊行された)。きっと、若松さんにとっても、井上神父にとっても、そうだったんですね。

 

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元型の影として出てきた老賢者とか、トリックスターとか、アニマとかアニムスとか、そういったものは、隷従するものではない。会って対話するものだって、ここには書いてあるのですよ。

アニムスに一体化して女性が〇〇すべきであると言うのは注意ですね。男性のムードに流される、勘に頼ることですね。あれほど当てにならないものはない。

対話するようになると、粗大な人格ではなくて、機能に変わっていくと書いてあるのですね。

 

 

水俣病が出たときに、宗教者がなにも発言しなくて、後に作家となる石牟禮道子さんは、「既存の宗教がすべて滅んだのかと思いました」と書いていらっしゃいます。

 

今の防衛大臣の発言とか、こういう発言があったときに、ユング派の心理学者がなにも発言しない、発言できないというのは、危機的な状況なのです。

この本はものすごく今日的なことを書いています。

 

「臨床家だから?」

 

そうでしょうね。カウンセラーは、苦しい人は、みんな自分のところに来ると思っている。教会は、苦しい人はみんな教会に来ると思っている。

でも、そんなことはけっしてない。

本当に苦しい人は、声を上げられないかもしれない。そういうことが忘れられて、苦しければ、声を上げなさいとみんなが言う。そうではなくて、声を上げられない人たちがいるのだということを思い出したいですね。

 

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ストンと腑に落ちました。