本日ウクライナ国立歌劇団のベートーヴェンの第9を聴きに、みなとみらいホールに行きました。

 

非常に残念だったのは、その前の午前中のもやもやを引きずってしまったこと。

 

おかしかったのは、第4楽章が始まった途端、なん10年も思い出さなかった小学校の卒業式の予行練習を思い出したこと。

新人の音楽の先生が吹奏楽部を指導し、そして当日指揮されたのですが、私たち卒業生の3/4が退場しても合唱が始まらない。

いよいよ私たち4組が退場し始めるときに、教頭先生が

「おい! いつまで続くんだ! この前奏」

 

いや、”前奏”ではないと思うが。。。

 

結局オケのパートを短くして、合唱が始まってから、卒業生が退場することになり、予行練習の卒業生退場部分をやり直し、本番もそのようになりました。

 

今からは考えられませんが、当時私が住んでいた千葉県のある市では、どこの小学校も生徒たちであふれていて、校庭にプレハブ校舎が建っていました。そして、3つの小学校から溢れた生徒を集めて、新設校が誕生しました。私は1年しかいませんでしたが、第1回卒業生でした。

 

半年以校歌もありませんでした。

先生も3校から。

なめ猫ブームで、たのきんブームで、金八先生ブーム。

 

たぶん荒れていたのでしょう。難しい学校だったのです。

 

そればかりが原因とは思えませんが、新人の音楽の先生は、私のいたクラスで授業拒否を2回(いや3回だった気もする)、他の6年生のクラスでも、それぞれ数回ずつ。他の学年でも。新人さんには大変な学校だったのでしょう(いや、それだけが原因だとは思えませんが)。

 

 

教頭先生は陸上部の責任者。元水泳の国体選手。

「てめーら、今日記録出さないと、ぶっ殺すぞ!!!」

と今だったら、問題発言ですが、彼がそれを言うと、ハードルの子たちも、短距離走の子たちもみんな記録を出しました。

 

短距離走だった弟は「当時、本当に殺されると思った」と語っていました。そして、いつも記録出していました。

 

私は長距離走だったので、あまり接点はなかったのですが、どうやら弟と区別がつかないらしく(いやーでもそんなに似てないのだけれど)、運動会の学級対抗リレーで、私がそれなりに速く走ったときに(野球少年と差が開かなかった)、

「おっ! さすが陸上部だな」

とお褒めいただきました。

「いや、ボクは、陸上部は長距離走なんだってば」と心の中で思いましたけど。

 

卒業式のときには、教頭先生から呼び止められて、

「おい! 河上が俺に挨拶しないってどういうことだ!」

「あっ、ボケッとしていたので、先生お世話になりました」

と答えつつ、心の中で、

「やっぱり弟と区別ついていないんじゃないかなあ」

「ボクが卒業した後、弟が”お前この前卒業しなかったか?”と言われないとよいなあ]

などと思いました。

 

こんなことを思い出して、ひとりで微笑んでいました。