cercle.ktaiソマティック・エデュケーションとは、アレクサンダーテクニークフェルデンクライス・メソッドロルフィング(またはストラクチュアル・インテグレーション)その他のワークのように、「こころ」と「からだ」とスピリチュアリティ(霊性)を一体として扱う教育のことである。

 

それは東洋的な心身一如または身心一如、「こころ」と「からだ」は分けることができないという人間観と非常に近い。

 

ソマティック・エデュケーションでは、経験気づきを鍵(キー)とするが、これについては本稿の文末でもう少し詳細に記す。

 

スピリチュアリティまで含むかどうかは、それぞれのワークで異動があり、またそれぞれのワークの中にも考え方の違いがある。

フェルデンクライス・メソッドから分岐したハンナ・ソマティクスの創始者トーマス・ハンナの造語である。

 

同じような領域を指し示す用語として、ボディワークボディーワークもあるが、この用語はロルフィングの創始者アイダ・ロルフ博士の造語で、ロルフィングやストラクチュアル・インテグレーションの方たち以外はあまり好んで用いない。

 

不容易にボディワークを用いると侮辱されたと感じる専門家もおり、修復できないほど関係を壊すこともあるので、注意が必要である。

 

 

1.ソマティック・エデュケーションの発見

まずこのようなワークが誕生し、多くの形に受け入れられてきたのは、時代背景として見落としてはいけない、次の三点がある。

(1)18世紀半ばから19世紀にかけて、ヨーロッパで産業革命が起こり、伝統的な社会構造が崩壊し、特に初期の資本主義の時代は、収奪する資本家と、再生産が不可能なほど収奪された労働者(日々の食事にもこと欠き、子どもにじゅうぶんな食事を与えられず、自らにも子どもたちにもじゅうぶんな教育の機会を与えられない)に階層が分離したこと。

ソビエト連邦の成立から冷戦時代にかけて、赤色革命が起こることを防ぐために、資本家の欲望むき出しの資本主義は抑制され、労働者への分配に考慮し、ある程度社会福祉政策が充実した社会が実現したが、冷戦後欲望むき出しの資本主義が新自由主義という名称で現れた。※1

 

(2)科学の発展が、社会の構造や人間観・世界観に大きく変化させたこと。

そして現在に至る。現代科学の通説は、心身一元論または心脳一元論である。

唯物論を前提とする考え方で、「こころ」は脳の働きに随伴して現れるもので、すべて脳のなかの化学反応物理現象還元できるという考え方である。

たまに哲学の専門家も勘違いしていることがあるが(おそらく不勉強で科学的な知識に乏しいことが原因であると考えられる。具体的な人物名を挙げるのは避ける)、これは東洋的な心身一如とはまったく異なる概念である

 

(3)そして「外部世界からの「収奪」と「搾取」を強めて、自国の生き残りと繁栄を築く※2ことを本質とする帝国主義が支配的となった。

 

このようななかで、人間を道具の扱う風潮や機械のように扱う風潮が生まれ、生命の営みを軽んじる風潮も生まれた。

 

 

そんななか、オーストラリア生まれのF.M.アレクサンダー(1869-1955)は、俳優として順調なスタートを切る。しかし、まもなく舞台で声が出にくくなることが経験し、なんとかだましだまし活動を続けたが、あるとき舞台で声が出なくなった。
お医者様からは、使いすぎたから(too use)、だから休むようにアドバイスされた。たしかに休めば調子がよくなるが、また練習したり舞台に立ったりすると声が出にくくなる。

 

本当に使いすぎなのだろうか? そうだとしたら、俳優を続けることができない。

 

でも、もし別のことが原因だったら、俳優を続けられるかもしれない。このときF.M.アレクサンダーにインスピレーションが訪れた。

使いすぎtoo useではなく、使い方の誤りmiss uesだとしたら。

 

結論から言うと、彼の仮説は正しかった。F.M.アレクサンダーは7年かけて自分の課題の本質をより明確にし、解決した。

 

その課題とは、舞台で出すような大きな声を出すときだけでなく、なにか活動を始める瞬間や、動きが大きく切り替わるときに、全身が協調して働くことを妨げるように、全身を押し下げたり、「からだ」の部分を押し下げたり、「からだ」の部分をフライングして動かしたりすることだった。

 

彼はそのような癖をやめることで、舞台に復帰し、そして行きがかり上集まってきた生徒たちに教え始めた。1894年頃と伝えられる。

 

1904年に渡英して、英国医師会会長を務めたピーター・マクドナルドや、後にノーベル医学生理学書を受賞するシェリントンら有力な支援者を得て、方法論をまとめた。
今日アレクサンダー・テクニークの呼ばれるワークのことを、F.M.アレクサンダーは、刺激(ここでは外部に起こることだけではなく、むしろF.M.アレクサンダーの文脈では、自分自身が何かをしようとすることを指し示すことが多い)に対する反応を変えるワークと定義した。

 

また自己の使い方use of the selfに関するワークであると定義した。この自己とは、「からだ」と「こころ」と霊性(スピリチュアリティ)が一体となったものであると彼自身が書き残している。改訂版では、有力な講演者らのアドバイスで、霊性(スピリチュアリティが削除されたが。。。

 

同時代のC.G.ユング(1875-1961)の”自己”の定義は、意識と無意識の中心の1点なので、言葉の定義だけで見ると、かなり異なる。しかし全体性を見ようとしていたという点では共通する。

 

 

2.ソマティック・エデュケーションの発展

アレクサンダー・テクニークは、フェルデンクライス・メソッドを体系化したモーシェ・フェルデンクライス(1904~1984)に直接・間接の影響を与えた。

 

モーシェ・フェルデンクライスは、F.M.アレクサンダーからレッスンを受け、後年第二世代のアレクサンダーテクニーク教師(F.M.アレクサンダーの孫弟子)からもレッスンを受けた。

にも関わらず、モーシェ・フェルデンクライスがアレクサンダーテクニークを中傷する発言を繰り返したことで、イギリスでは現在でもアレクサンダーテクニーク教師とフェルデンクライス・メソッド教師とは険悪である。

 

日本では第1期トレーニングに参加したメンバーに、かつてともにアレクサンダー・テクニークを学んだ友人たちもいて、そのようなことはない。

 

またロルフィングまたはストラクチュアル・インテグレーションと今日呼ばれるワークを体系化し、ボディワークという新しい言葉を造ったアイダ・ロルフ博士にも間接的に影響を与えた。

 

アイダ・ロルフ博士はF.M.アレクサンダーの直弟子からレッスンを受けた。

 

アレクサンダー・テクニークだけでなく、フェルデンクライス・メソッド、ロルフィング(ストラクチュアル・インテグレーション)においても、基本的に「こころ」と「からだ」が一体のものであるという立場を取る。霊性について、アレクサンダーテクニーク以外のワークがどのような立場を取るのか、私は知らない。

 

これらの3つのワークの基本的な考え方は、その後誕生した様々なワークに直接・間接の影響を与え、今日に至る。

 

それはソマティック・エデュケーションのジャンルに留まらず、臨床心理学の分野においても、それらのワークからの影響と言語的カウンセリングの限界から、ソマティック心理学という新しいジャンルの心理療法の体系が生まれた。

 

 

このように「こころ」と「からだ」と「霊性」(スピリチュアリティ)が一体となったワークが発展したのは、科学の発展によって生まれた、機械的な人間観では解決できない課題が近代以降に生まれたからであろうと考えられる。私たちの生命の営みは、もっと尊く、もっと豊かなものだ。

 

 

3.鍵となる気づき

いずれも自己(もちろん「からだ」も含む)への気づきがキーになる。

 

この「気づき」とは、実は、このようなことに注意を向ければ、自動的に何らかの効果が出るという機械的なものではない。

 

以前カルチャーセンターで教えていたときに、「注意を向けたけれど、先生に手で教えていただいたような変化が起こりません」と言われたことがある。確かに変化は起こっていなかった。そこに”気づき”がなかったから。

 

この気づきは、単なる意図や意思ではなく、実は一種のシンボル(象徴)的な機能を含むのだ。このことについて注意を向けた論考を読んだことがないのだが、そうとしか言えない。

 

別の言い方をすると、「気づき」が起きたとき、すでに私たち自身や世界に対する、注意の根本的な構造転換が起きている。

 

アレクサンダーテクニークの教師は、その気づきの訪れを適切な助言とワーク私たち自身と生徒さん(クライアント)に与えつつ、待つのだ。

 

教える際の方便として、◯◯に注意を向ければ、◯◯が起こると言った表現がされることもあろう。

 

 

今回このようなコラムを書こうと思ったのは、ソマティック・エデュケーションについて、特に気づきについて、日本語では本や論文やWEBも含め、きちんと説明したものが一つもないことに気づいたからだ。

 

 

このコラムを書くきっかけになったのは、ユング心理学研究会白田信重先生の2016年6月9日の「心的エネルギー論」の講義であった。

 

ドイツ語からの3人の共同訳を作るのに際して、心理療法洞察療法について、「洞察を向けたら、必ず改善するのですか?」という質問が物理学を専門にする方から出て、その質問に際して、洞察を向けたら機械的に改善するものではない。真実の洞察は象徴であると回答されたとおっしゃった。

 

例として、親鸞上人の「南無阿弥陀仏と唱えれば。。。」を上げ、これは単に言えば極楽に行けるというものではなく、いろいろ力を尽くして自力では限界があるという境地に至ったときにすでに意識の組み換えが起きているという説明をされた。

 

そのお話を講座で聞いて、これはアレクサンダー・テクニークを含むソマティック・エデュケーションでも当てはまることだと気づいた。

 

 

白田信重先生に感謝する。

 

 

 

 

※1 「希望の資本論」 池上彰 佐藤優 著 を参照した。

 

※2 「動乱のインテリジェンス」「知の武装-救国のインテリジェンス」「賢者の戦略」手嶋龍一・佐藤優著を参照した