私が教師トレーニング・コース(教師養成コース)を終えたのは、2003年12月です。

 

私のレッスンでは、

いわゆるプロシージャーと呼ばれるアレクサンダー・テクニークの手順を学ぶレッスン

生徒さんが選んだアクティビティ(演奏やダンスや演技やアロマセラピーやヨガのポーズetc.)にレッスンするアクティビティ・レッスン

ボディマッピング

を行いますが、生徒さんが選んだアクティビティにワークすることは、トレーニングを修了してほぼ1年間ははずしまくりました。

 

全然うまくいきませんでしたので、生徒さんに

「アレクサンダー・テクニークを使って、なにかやりたいことはありませんか?」と訊きながらも、心の中で

「なにもリクエストしないでください」と思っていました。

 

 

トレーニングを終えて1年くらいたった2004年12月に、当時教えていたカルチャーセンター(朝日カルチャーセンター横浜教室)のクラスにプロのオーケストラのヴァイオリン奏者の方がいらして、演奏してくださいました。

 

このときには、不思議とまったく不安がなくて、20名を超える生徒さんたちが見守るなか、落ち着いてそのヴァイオリン奏者の方に近づき、私が手を置いてワークしながら、もう1度演奏していただきました。

 

音の響きが豊かになり、聴いている受講生の方たちから「おお~」という歓声が上がりました。このときに初めてアクティビティ・ワークがうまくいきました。

 

その方はその後個人レッスンや、みずから弦楽器のお友達を連れていらしたので、私のアレクサンダー・テクニークのアクティビティ・ワークは、自分自身の武道の探求以外では、弦楽器の方たちとのレッスンでスタートしました。

 

経験を積んでいくと、人には言いませんでしたが、愚かにも「F,M,アレクサンダーが発見していなかったことを発見した」と何度か思ったことがありました。

 

しかし、その都度改めてF,M,の書いた本を任意にページを開いて読みなおすと、そこかしこに私が”発見”したことが書いてあるのです。あるいは、ある程度理解しているプロシジャがまったく別の様相を帯びてきて、腑に落ちることもしばしばあります。

 

なんてことはない。私がきちんとそれまで理解していなかっただけです。

 

だから最近は、私自身が教わらなかったことを発見していくことも、教えていくことにも躊躇しなくなりました。なぜかというと、後でF.M.の本を読んだら、ちゃんと全部書いてあるから。あるいはプロシジャがそれを要求していることが後で分かるからです。

これは、どんどん発見し続けても、追いつけません。

最近は、乗馬の人に教えていると、
「今まで乗馬の先生から注意されていたことと同じことを言われた。だけれど、今回はじめて意味がわかりました。来てよかった」

 

社交ダンスの方たちに教えると、
「世界のトッププロたちからのアドバイスの意味がはじめて分かりました」と言われることもあります。

 

演奏する方たちに教えると、
「はじめて腕の重さで演奏することの意味が分かりました」

「おなかから声を出すことの意味が分かりました」

等々おっしゃいます。

 

私自身は、単に、アレクサンダー・テクニークの原理がここで生かせるということを見つけて、それについて、手と言葉で教えているだけなんです。

私の先生の先生のマージョリー・バーストウ師については、アレクサンダー・テクニークの教師のあいだでも、肯定的評価と否定的評価がありますが、まさにそれは彼女がアクティビティ・ワークが得意だったことと深く関係があります。

 

「アクティビティ・ワークができたから偉い」とか
「アクティビティ・ワークしかできなかったからダメだ」(マイケル・フレデリックは、伝統的なワークもきちんとできたと証言)とかそういうしょうもない話をする人もいますが、私が思うに、

 

マージョリー・バーストウという方は、いろんなアクティビティにF.M.アレクサンダー師の発見が生かせることを見るのが単に楽しかったのではないかと、今現在私は考えます。