掲載日 2014年12月28日

 

嵐山溪谷以前、”癖(くせ)とは亡霊のようなものです”というコラムを書きました。

 

アレクサンダー・テクニークのレッスンを受け始め、日々実践するようになり、どんどん自由になっていくことを経験し始めます。そしてあるとき急に気づくことがあります。それは、”私たちの癖(くせ)とは、けっこう根強い”ということです。

 

そして、なかには、アレクサンダー・テクニークをやっても際限がないと思い、やめてしまう方もいらっしゃいます。残念なことです。

 

 

実は、このことはレッスンを行っているアレクサンダー・テクニークの教師はよく知っています。というのは、私たち自身経験してきているので。

そして、いろいろなバージョンのあるアレクサンダー・テクニークの7つの原理の1つに上げる人もいるくらいです。

 

演奏する人たちを例に、どういうときに癖が根強いことを経験するのかということについて書きます。

 

1.アレクサンダー・テクニークのレッスンを受ける前に取り組んだ大曲を練習・演奏するとき

2.昔の同級生に会ったとき

3、昔の私たちの癖とよく似た癖を持った演奏家と共演するとき

 

1.アレクサンダー・テクニークのレッスンを受ける前に取り組んだ大曲を練習・演奏するとき

 私自身この12年間レッスンを続けてきて、しばしば経験してきたことなのですが。

アレクサンダー・テクニークのレッスンを継続的に受講されて、きちんと可能性と向き合って、癖をやめていくことに成功しつつある方が、ある日レッスンでお会いしたら、「なにかあったのですか?」という状況に陥っていることがあります。

「からだ」全体が縮こまって、全身と周囲に満ちていた明るいエネルギーがなくなっている。

お話を伺うと、かつて取り組んだ大曲を再び練習し始めたら、急にあちこちが痛くなり、演奏するときに首や肩や腰や腕が痛くなったり、大きな違和感があったりして、ちっともうまくいかないとおっしゃるのです。

そして、おっしゃいます。技術的にはもっと難しい曲も自由に演奏できるようになってきていたのに。訳が分からない、と。

実際に演奏していただくと、自己申告された通りのことが起きます。

手と言葉を使ってレッスンを始めます。演奏を初めから行うか、別のプロシジャと呼ばれる教師の方から動きを提案するワークを行うかは、生徒さんの状況を見て、教師である私が決めます。

そのようにすると、癖(くせ)がよりすくない状態で、自由に演奏できます。

そして、ひとりで演奏しても、もう不自由なところには行かなくなります。

なにが起こっているのでしょう?

曲にはいろいろなものが結びついています。

かつてその曲を演奏していたときに、もし腕や肩や首や腰が痛かったり、大きな違和感があったりしたら、そういう情報も結びついています。

かつてその曲を演奏したときに、お腹の調子が悪かったら、その情報も結びついています。

かつてその 曲を演奏したときに、辛い経験をしていたら、その情報も結びついています。

もちろん、そのころ幸せな経験をしていたら、その情報も結びついています。

そしてそれらの情報は、私たちがその情報について気づこうと気づくまいと、関わりなく結びついています。

その曲を演奏しようとした途端、ものすごいスピードで、私たちのシステム全体に入り込みます。

もし、そうなったら、うまくいきません。

ですから、そういった曲を演奏するときには、いつもよりもいっそう注意を広くして、奥行を受け取りつつ、ディレクションを思って、演奏します。うまくいくと、かつての情報に振り回されなくなります。

 

 

2.昔の同級生に会ったとき

学生時代の同窓会や、学生時代のお友だちに久しぶりに会うことってありますね。そういうときに、急に忘れていた昔のことを思い出すことがあります。

例えば、あの頃

「私は指が回らず苦労したな」とか

「先生から、あなたは手が小さいから、演奏家は無理だ」とよく言われて、悔しかったり悲しかったりしたなとか、

「からだが小さくて、体格の大きな同級生たちが羨ましかったな」とか

そういったこと。

もちろんキャリアを重ねて、研鑽を重ねて、アレクサンダー・テクニークのレッスンも受けて、かなりの程度不自由さを感じなくなってきています。

なのに、そのかつての友達や友たちと再開した日以降。急に自由に演奏できなることがあります。

 

3.昔の私たちの癖とよく似た癖を持った演奏家と共演するとき

「からだ」全体を押しつぶしたり、演奏に伴う動きの中で特定のどこかを押し付けたりする誰かと共演していて、なにかものすごく不快な感じや居心地の悪い感じがあるなあと思っているうちに、気がつくと自分自身の自由さが失われることがあります。

 

 

 

1もそうなんですが、2と3の場合は特に、かつて苦しかった私たち自身と、最近の割と自由度の高い私たち自身を比べて、アレクサンダー・テクニークを使って分析します。どうして、最近の私たちの方が自由なのかと。
例えば以前は。楽器を構えるときに背中を押し下げていたけれど、今は胴体の奥行に注意が向くから、楽器が軽く支えらるとか、そういったことです。
そういったことがいくつも分かると、喩え辛かった過去があっても、曲とともにそれらの過去の情報がやってきても、引きづられなくなるのです。

 

過去というものは、あるいは今の私たちにとって意味のある過去とは。つまり私たちの現在に意識している意識していないに関わらず影響を与える過去のことですが、遠い過ぎ去ったところにあるのではなくて、今も生きているのです。

しかし事実としての過去は変わらなくても、意味づけが変わります。そして、意味づけが変われば、過去は亡霊のように私たちにしがみついて重くすることがなくなるのです。過去の癖(くせ)から自由になることができるのです。

 

そして、もう1つ重要なことがあります。
それは表現が深くなることです。過去に経験していた苦しいことが、辛いこととか、幸せだったこととか、その幸せを失ったことが今の表現をより輝かせてくれます。