序文の訳をすぐにお読みになりたい方は、こちらへ。

2005/10/18 作成
2010/11/18 更新

『自分の使い方』センターラインプレス版への序の翻訳にあたって

1.マージョリー・バーストウによる『自分の使い方』をお読みになる方へ

「マージはすばらしい教師だった」この言葉をいったい何千回耳にしたことだろう。

 

マージとは、マージョリー・バーストウのことだ。

彼女は 1899 年ネブラスカ州リンカーンの富農の娘として生まれ、当時隆盛していたイサドラ・ダンカンのダンスを学んだ後、教えるようになった。ほどなくして、すぐに上達する生徒と努力しているのに上達しない生徒がいることに気づき、

「どうしたら上達しない生徒さんたちが上達することを助けられるだろう?」と思ったそうだ。

 

それがきっかけとなり、彼女は今日アレクサンダー・テクニークと呼ばれるプロセスを、海を渡ったイギリスのロンドンにいた、フレデリック・マサイアスとアルバート・レデン・アレクサンダーから学び始めた。

 

その後 1933 年から教師を養成する最初のトレーニング・コースに参加し、修了後教え始めた。最初の教師たちのひとりになったのだ。そして、1995 年に亡くなるまで教え続けた。

 

さて、冒頭の言葉だが、私はこの言葉を聞くたびに軽い苛立ちを覚えた。

 

アレクサンダーテクニークの発見者、F.M.アレクサンダーの話ならよい。彼には、たくさんの著作がある。トレーニング・コースにいるあいだ、そして今でもその著作と格闘している。その文章からインスパイアーされることも多い。

 

でもマージとなったら、話は別だ。彼女は文章を残さなかった。そう聞いていた。だから、手がかりがないのだ。具体的に説明してくれる人には会えなかった。もちろんレッスンで示してくれた人は、何人もいたのだが・・・(残念ながら、その中には師の名前を汚す人もいた)。

 

ある日トレーニングのスタジオを借りてレッスンをした。そして生徒さんを待っていたとき、時間があったので、本棚からアレクサンダーの書いた『自分の使い方』を手にとってみると、冒頭にマージによる序があったのだ。

 

しばらくは忙しさにかまけて読まなかったが、ある朝呼ばれるようにテーブルに手を伸ばし、数葉のコピーを手にとってみたら、マージによる序だった。

 

読み始めたら、マージの息づかいが伝わって来るようだった。

彼女によるアレクサンダー兄弟たちのティーチングや立ち居振る舞いの描写、
このテクニークを学んでいく過程の感想、
アレクサンダー・テクニークに対する彼女の考え、
トレーニング修了後のどうやって教えようかという悩み、
そしてグループに教え始めたきっかけ。

 

すべてが生き生きと描かれている。この文章を読んで、私は初めてマージと繋がったように思う。

 

私は、夢中になって読んだ。そして、後で容易に読めるように自分自身のために訳した、だから、訳は読みやすいものとは程遠く、ひじょうに拙いものになった。

 

私の願いは、アレクサンダー・テクニークに興味を持つ多くの方たちに、原文を読ん
でいただくということだ。英語が不得意な方は、この訳を参考にしながら。

 

2.お読みになるときの注意

(1)改行について

意味が分かりやすくなるように原文にはない改行を入れた。
原文の改行箇所は、前の段落から1行空けた。

(2)括弧について

() マージの原文にて使用されている。訳でもそのまま用いた。
『』 斜体文字、””で囲まれている言葉に付した。
<> 読みやすくするために、原文にはない接続詞・修飾語等を補うために使っ
た。
【】 訳者メモ 訳すときに留意した点や、本文とは別に意訳を書くときに使用
した。

(3)訳について

意味が取りにくいところもあるが、基本的にあえて原文のままにした。しかし、
どうしても意味が取りにくいところは、意訳のみ記した。

 

3.翻訳者の紹介(2010/11/18 修正*)

かわかみ ひろひこ
ATI(国際アレクサンダー・テクニーク協会)認定教師。マージの孫弟子。
東京・横浜を中心にレッスンを展開中。札幌・旭川・仙台・浜松・福岡でも出張レッ
スンを行う。
もっとも興味のあることは、人間の存在と能力の可能性。
連絡先は、〒116-0002 東京都荒川区荒川 7-39-4 シティハイム町屋 503
電話&FAX 03-5615-2318
PHS 070-5551-8007
ホームページ http://www.alexanderdiscovery.jp/
メール alexander@bluesky.biglobe.ne.jp

* 2009 年 10月のスタジオ移転と近況を反映。 1/3
1983/4 マージョリー・バーストウ著
2005/8/25 翻訳 河上裕彦

 

『自分の使い方』センターラインプレス版への序

F.M.アレクサンダーの『自分の使い方』のこの新版の前書きを書くことは、私にとってうれしいことです。この本の最初の原稿は、私がロンドンに滞在し、(彼の)弟のARが助手を務めてアレクサンダーによって行われた、最初の教師トレーニングコースに参加しているときに書かれました。(アレクサンダー兄弟のフルネームは、フレデリック・マサイアスとアルバート・レデンでしたが、彼らの生徒たちにとっては、いつもF.M.とA.R.でした。)

 

『自分の使い方』を書いたF.M.の目的は、未来の世代に、彼が開発した正確な手順の記録を残すためでした。長年のあいだ、このテクニークは人間の動きを学ぶことについて、重要な貢献をしてきました。F.M.はしばしば言いました「誰でも私がしたことはできます。もし私がやったことをしようとするのであれば」と。

 

最初の章、『テクニークの進展』は、彼が経験した正確な詳細を説明します。彼の2人のアシスタント、エセル・ウェブとアイリーン・タスカーは、私たちがアレクサンダー・テクニークと呼ぶプロセスに結実する、アレクサンダー自身の彼自身に対する観察を、読者に適切に表現する言葉を選ぶことに、F.M.とともに、数えられないくらい長い時間を費やしました。

 

彼の語る『プライマリー・コントロール』を彼が発見したという興味深い道のりにおいて、その『プライマリー・コントロール』というのは、彼の研究の転換点になり、動きに関する私たちの感覚的な経験が、私たちが思うほどには必ずしも頼りになるわけではないという事実を、彼の注意にもたらしました。この(最初の)章は本能的な誤った方向付けが、古い使い方の癖と結びついているという話題とともに続きます。そしてアレクサンダーがそこで指摘するように、筋道立った方向付けの結果、古い使い方の除去に至り、新しい動きの傾向の中に自由さと柔軟性をもたらします。これらの観察とともにアレクサンダーは使い方と機能とのあいだの密接な結びつきを理解し始めました。彼の発見に至る歩みは、シンプルな方法で見事に描かれ、そして紹介されています。

 

人々がこのテクニークは難しいと言うのを私は今まで聞いてきました。(けれど)私がこのテクニークを長く使えば使うほど、このテクニークが実際は何てとても単純だろうといっそう認識するのです。その単純さと巧妙さはほとんど理解を超えているように(訳注:ものすごく単純で巧みであるために、かえって理解するのが困難になったということか)思えます。本当の学習の困った問題というのは、簡単さや難しさの度合いにあるわけではありません。そうではなくて、自分自身を使うときの手に入れた(意訳 身に着いた)癖が、私たちの感覚的メカニズム(仕組み)に、いかに多くの影響を与えてきたかということと一体になっているのです。F.M.アレクサンダーは次のように指摘しました。この手順
は、私たちの個人的な方向性を教え込んできたどんな手順とも相容れないだけではありません。そうではなく、人の進化の過程を通して人の本能的なプロセスを継続的に教え込んできた、いかなる手順とも相容れないのです。

 

次の章では、さまざまな activity(活動)と、このテクニークが好ましくない癖を防ぐことにおいて役立たせるための方法を扱っています。(そして)F.M.アレクサンダーの経験のもっとも注目すべき側面は、必要とされる唯一の本当の道案内(導き)とは、方向性のある思考の彼の一連の順序(ここではシ-クエンス)であるといことが分かりました。この一連の順序とは、どんな動きが完遂される場合であっても、持続しなければならないのです。ジョン・デューイ教授は、この側面を『活動の中の思考』と呼びました。

 

F.M.とA.R.の両方が教えるとき、方向性のある思考の順番を強調しました。時に彼らは、ほとんどこの点について、しつこすぎる(固執しすぎる)ように思えるほどでした。
しかし、実際には彼らはしつこすぎたのではなかったのです。この思考の新しい方法であり、新しい学習のための方法は、とてもなじみのないものなので、(意訳)持続的に強調されることが必要だったのです。(そして)このテクニークは、じゅうぶんに理解されるために、個人的な経験を必要とします。

 

アレクサンダー・テクニークとの私の経験は、何年という期間を超えた期間のあいだに、すっと広がってきました。私が最初にこのテクニークを学ぶためにロンドンへ行ったとき、6ヶ月間ロンドンに滞在し、毎日レッスンを受け、先生のF.M.とA.R.のあいだを行ったり来たりしました。

彼らに最初に出会ったとき、彼らの個人的な外見、彼らの優雅な動き、彼らのジェスチャー、彼らの全体的な身のこなし(poise)、彼らの声、彼らが教えるときに楽であることに強い印象を受けました(翻訳に見直し必要)。その最初に受けたレッスンのあいだに、私は新しい学習の場にやって来たことを認識しました。それは、奇妙で、興味深く、そして私が以前に経験したどんな種類のトレーニングとも極端に異なっていました。
私の注意は、『正しい』と感じられる動きを実行しようとすることにではなく(訳メモ:thatfelt rightのところ見直し必要かも)、私自身と私自身の動きの質に焦点を当てなければなりませんでした。私が受けた正規の学校教育は、あらゆる種類の体操、スポーツ、ダンス等を含んでいたので、私はこのテクニークが本当に私にとって冒険であることにすぐに気づきました。

 

最初は、単純な毎日の活動において自分自身を見ることを学ぶことは、骨の折れること(challenge)でした。そして、アレクサンダーの観点からの、このタイプの観察を私が理解するのに、しばらくかかりました。癖のある歩行に動きを変えるということは(意訳あり)、私がどんなふうにその癖のある歩行を行っているかということを理解するために観察することとは、まったく異なっていました。

繰り返しになりますが、動きの質における違いを理解し、そして感じるためには、人は動きの質における違いを個人的に経験しなければなりません。そうすることで、行為(act)を完全に理解することができるのです。

私が、行うべきであった私自身を観察することを継続していないことを指摘されたときに、何度も私の自負心(エゴ)は混乱しました。2人のアレクサンダーは両方とも、彼らの生徒たちが注意深い観察、そして(活動を)続ける前にじゅうぶんに順序だてて考えることの必要性を理解することを、とても強い態度で言いました(意訳あり)。そして、私はしばしば自分自身に次の野質問をしたものです。

「なぜ私はいつも正しくやろうとするのであろうか? 正しいというのがどんなのか知らないのに」

 

時が経つにつれて、私はこのテクニークを理解し始めました。奇妙なことに、この学習のプロセスは永遠に続くように思いました。いつも新しい動きの質についての発見があり、質の変化が観察でき、そして思うことの一連の順序(ここではシ-クエンス)は成長と発展を続けました。しかし、これらの(経験の)なかでもっとも重要なのは、あらゆる種類のプロフェッショナル・パフォーマンスをするときと同様に、あらゆる種類の日常の活動をするときに、柔軟さと自由さをすばらしく経験することでした。

 

私が最初にロンドンへ旅した後、最初の教師養成のクラスに出るためにロンドンを再び訪れたときに、私は2人のアレクサンダーに(再び)出会いました。私はこの教師養成コースと、合間に少しだけあった休日に、3年を費やしました。そして、それは途方もないほどの大きな経験でした。私自身に対するさらに多くの気づき、他の人たちを見るときのさらに多くの気づき、遣い方と機能とのより密接な繋がりについてのより大きな理解、本当に私の教育的素養は巨大に広がり、そして私にとっては、すばらしい未来とともに、完全に新しい教育の分野を垣間見ることができたのです。

 

アメリカ合衆国に戻るとすぐ、私はこの新しい実験的な学習を継続したかったのですが、しかしどのような手順で行うのか確信はありませんでした。(しかし)ARが、彼が教えるときのアシスタントになることを私に依頼したので、機会は訪れたのです。彼は当時ボストンとニューヨークで教えていました。私たちは数年間一緒に働き、私は私自身のワークに大きな自信を手に入れたのです。それは、私が教えているときに、ARの並外れた観察眼が私を観察し、そしてしばしば建設的な提案をしてくれたおかげです。

 

ARと数年働いた後、夏の2ヶ月間南部の大学で教えないかという申し出が、私に対してありました。その申し出に私は大喜びしました。というのは、このテクニークが生徒たちのグループにうまく教えられるのかしらと、しばらくのあいだ私は思っていたからです。これは私に、グループにうまく教えられるかというこのアイディアを探求するチャンスをくれました。そして私はテキサスまで車に乗って1人で旅立ちました。新しい状況に入ることを熱く望みながら。私の最初のテキサスでのクラスと、その後にずっとグループを教えたことにより、このテクニークが生徒たちのグループにもうまく教えられることは、証明されたのです。そして私は、私の生徒たちが、アレクサンダーの発見と共にいる経験をワクワクして楽しんでいることを発見してきました。

 

私はたいへん喜んでいます。この本のこの版が、おおよそ50年前にアメリカ合衆国で出版され、長いあいだ絶版になっていたオリジナルの正確なコピーとなることを知って。

あらゆる種類の動きのテクニークとボディーセラピーに対する興味が、国中に広がってきた時に、この本が再刊行されることは、一般市民に、直接F.M.の個人的な経験から来た、そして彼自身の言葉によって描写された、アレクサンダー・テクニークの歴史を読む機会を与えるでしょう。この本は、私が思いますに、F.M.アレクサンダーによってなされた、もう1つの大きな貢献なのです。

 

マージョリー・L・バーストウ
ネブラスカ州リンカーンにて
1983年4月

 

 

 

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