殿堂いくつかのワークに関わって、いくつかは教えて、いくつかは生徒の立場で。

 

それで分かったのは、そのお教室の中でしか通用しないワークというのがありました。何年か関わって不測の事態が起きないと、それが見えてこないのだけれど。ワークというよりも、もしかしたらそのワークに関わる人、あるいは関わる人の覚悟なのかもしれないけれど。

 

 

ネイティブ・アメリカンのリパン・アパッチ族の方たちは、なにかを決めるときに孫のさらに孫の世代のことを考えて決断したといいます。それを初めて聞いたのは、1999年の秋、「トラッカー」の翻訳者さいとうひろみさんから。トムのアシスタントをしていたエドガーさんと南牧村で教えていらしたのです。
現在は、川口拓さんから、学んでいます。

 

そのとき既にアレクサンダーテクニークの教師養成コースにいて、その後F.M.アレクサンダーが、「このワークは、私の生徒の生徒の生徒の代で真価を問われる」とはっきり書いていたのを見つけたときに、びっくりしたのですよ。

「私の生徒の生徒の生徒の代で真価を問われる」って、つまり”F.M.アレクサンダーの生徒の生徒の生徒”までだけではなくて、”F.M.アレクサンダーの生徒の生徒の生徒”の生徒たちのことも考えないと、言えないことじゃないかって。

 

そして、私は”F.M.アレクサンダーの生徒の弟子の弟子”なので、将来私が教える生徒さんたちのことも、彼は考えていてくれたのだなとと思うと、心が動きました。

 

そして、彼は自分のワークが、人々が癖から解放されるというお仕事が(FMは世界から戦争はなくなると言った)、自分の代では終わらないことを覚悟していた。これって、すごいことなんだと思う。

F.M.アレクサンダーにとって、このワークは発見であったと同時に、祈りでもあったということです。

 

かつて、ともにアレクサンダー・テクニークを学んだ方のひとりが、
「アレクサンダー・テクニークは所詮テクニークだから。でも○○○は、○○○プロセスだから、○○○テクニークではないから、根本から違うんだよ~」と語ったことがありました。

 

確かに、アレクサンダー・テクニークは使うのだから、ツールという側面は確かにあります。でも、注意の向け方を根本から変えるのだから、それによって動きもパフォーマンスも感じることも変わるのだから、単なるツールとか、テクニークというものを超えています。

なにか特定のルールで場を設定しないと、通用しないワークとは根本的に違のです。そういうワークはお教室では勝利を収め続け、現実社会では一切働かない。

 

アレクサンダー・テクニークを教えていて、それが分からないとすると、この方はワークに決して助けられないだろうな(自分自身で新しい発見ができないだろう)と、ちょっと意地悪かもしれないけれど思いました。

アレクサンダー・テクニークのレッスンするというのは、新たな発見をし続けることなのです。レッスンする私地震が知らなかったことを知ることなのです。教わったことを繰り返すことではありません。

 

彼のあの発言から6年以上経った今、案の定その通りになっていて。生徒さんがまるで集まらなかったそうです。

彼が自分で決めたことに私は異存はないし、その結果そういう残念なことになってしまっても、それは仕方がありません。私にはなにもできません。

 

 

私自身は、F.M.アレクサンダーの祈り—人の可能性を、未来を信じた彼と彼の道統上の子孫たちの営みの積み重ね—-を信じます。私も100数十年後を見据えて生きていこうと思っています。

 

 

 

コラムの目次はこちらに。