1997年から1999年までの東京でのアレクサンダーテクニークに関する回想 中編

今から考えてもすごいと思うのは、1997年、1998年に京都のKAPPAで、アレクサンダーテクニークのトレーニングを受けていたトレーニー(訓練生)や、KAPPAをご卒業された、なりたての教師の方たちの熱心さです。

 

 

ブルースさんが東京でワークショップをされる時には、いつも5人とかそれ以上の訓練生やなりたての先生たちがワークショップにいらっしゃり、ワークショップをお手伝いされていました。ずいぶん後で知ったのですが。交通費も宿泊費も自分持ちだったのです。

 

不思議と、ジェレミーさんのワークショップには助っ人の方たちは誰も来ませんでした(後でその理由を知りますが。。。)。孤高のジェレミーさん、というのが当時の私の印象です。

 

特に印象強かったのは、北村綾子さん。グループレッスンでブルースファートマンさんのワークを見ている私たちに、訓練生や若い教師のみなさんがワークして回られるのですが、おひとりおひとりに、丁寧にしかも手短に、

「私はアレクサンダーテクニークの教師になる勉強をしていまして、手を置かせていただいてもよろしいですか」

とおっしゃったことです。

 

1998年のブルースさんのワークショップ、私は奥の”親知らず”が出てきて、あれって人によって経験が異なると思うのだけれど、ものすごく気持ち悪くて、そのときに綾子さんがテーブルレッスンをしてくださり、とても体調がよくなったことを覚えています。

 

「ああ、たしかに新しい教師が育っているんだ」と思いました。

 

そして1998年の夏には、当時教師訓練中だった(今でも東京を中心に御活躍中の先輩)石井ゆりこさんが東京で勉強会をしてくださいましたオーガナイザーは私。あのときのオーガナイジングには反省が残りました。

 

彼女は1999年に教師養成コースを終えられて、ただひとり東京に戻ってこられましたが、東京にはそのときにはすでに教師養成コースができていて、養成コースにいらっしゃらなかった多くの方たちは、アレクサンダーから距離を置き始めていたので、コミュニティもちいさくなっていましたし、まったく新たに生徒さんを集めなければならなくなったので、大変だったと思います。

 

それでも彼女は精力的にワークを続けられ、KAPPA卒業生のみではなく、すべての日本で活動中のアレクサンダー教師のなかでもっともご活躍中の教師のひとりです。

 

そして彼女が通った道、新しい生徒さんにいらしてくださり、アレクサンダーテクニークをお伝えするという道筋、それは2003年に教師養成コースを修了する前から、私が通った道でもあります(実修レッスンの5人の生徒さんのうちの3人は私自身のホームページで募集しました)。

 

ブルースさんの通訳はいろいろな方がなさったワークショップに出席しましたが、やはりアレクサンダー教師の新海みどりさんが通訳されたときがいちばんよかったです。彼女とブルースさんの息はピッタリでしたし、それほど背が高くないおふたりからあふれ出る活力は、存在をとても大きくしていました。あれはアドリブだったのかな、おふたりで始められる寸劇もとても面白かったです。

 

西岡寛さん、最後にお会いしたのは神田の路上でした(2000年ころ?)。

「わあーい、寛さんだあー」と嬉しくなって、「寛さん」と呼びかけた途端、笑い転げてしまい、寛さんから「笑わんでくれー」と。

大変失礼なことを致しました。

 

もちろん、片桐ユズルさん、岡本卓也さん。。。たいへんすぐれた人たちが多くいらっしゃいました。

 

このようなKAPPAの先生たち、1998年の9月まで私の個人レッスンの先生だったイムレさん、そして1998ねn9月からお世話になった京都の芳野香先生、すべての方たちを巻き込んで教師養成コースを作ろうというのが、東京のふたりの仕掛け人私とTさんの構想でした。
 

後編に続く

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ABOUT US
かわかみ ひろひこアレクサンダーテクニークの学校 代表
第3世代のアレクサンダーテクニーク教師。2003年より教えている。 依頼人である生徒さんへの共感力、課題改善のための活動の動きや言葉に対する観察力と分析力、適確な指示、丁寧なレッスンで定評がある。
『実力が120%発揮できる!ピアノがうまくなる からだ作りワークブック』、『実力が120%発揮できる!緊張しない からだ作りワークブック』(ともにヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)の著者。
アレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこのプロフィールの詳細