アレクサンダーテクニークから生まれたアイボディ・メソッド

アレクサンダーテクニークから生まれたアイボディ・メソッドに2000年に出会う

アレクサンダーテクニークから生まれたアイボディ・メソッドの本
アイボディ

2000年の10月、はじめてピーター・グルンワルドさんにお会いしました。彼はアレクサンダーテクニークの教師で、今日アイボディと呼ばれているワークの発見者です。当時はまだアイボディという名前ではなくて、eye reflex patternという名前だったような気がします。

当時通っていたアレクサンダーテクニーク教師の養成コースの木曜日の夜のクラスがあって、そこにピーター・グルンワルドさんがゲスト講師としていらっしゃいました。

その後に金曜日の夜から、土日と、八王子の施設で一般から募った受講者の方たちといっしょにワークショップに参加しました。

私はひどい近視で、なにか糸口が得られたらよいなという小さい期待はありました。

また当時の私は、もちろんある程度自分自身で全身のコーディネーション(有機的なつながり)を整えることはできましたが、たいていはmiddle backと英語で呼ばれる。おへその後ろ側の背中の辺りがうまく解放できずにいました。

うまくいくこともありましたが、うまくいかないことも多かったのです。

それは大きな課題でした。

ピーターさんの当時のワークショップでは、3Dの絵を眺めることをよくやりました。そう言えば、現在はしませんね。
最初は、全然立体にみえなかったものが、ピーターさんのサポートをいただきながら、3Dに見ることができるようになりました。

そして、暗い夜道にコテージに移動中にメガネを外すと、最初の夜は暗くて怖かったのですが、次の日からだんだんと慣れてきて、見えるようになって行きました。

またピーターさんが連れていらしたスイス人のアシスタントの女性からテーブルレッスンを受けましたが(たしかピーターさんが彼女にワークしながら)、あれも助けになりました(その女性のアレクサンダーテクニーク教師マージョリー・ファーンさんとは2004年にオックスフォードで再会します)。

だんだんと自分の目にチカラが戻っていくのを実感していました。

そして眼の奥行きを思い出していたら、解放するのがむずかしかった、背中のおへその後ろ側の辺りを解放できるようになっていたのです。

私はこのワークショップに満足しました。

アレクサンダーテクニークから生まれたアイボディ・メソッドはノーを突き付けられた後に進化した

しかし、あとで聞いたら、多くのアレクサンダーテクニークのトレーニーがそうでもなかったみたいでした。実際、ワーク中にもブーイングが上がったし、「途中で帰りたい」とおっしゃった方もいましたので。

その方たちに共通することがあって、遠視か遠視傾向のある方たちだったのです。今日のピーターさんのワークショップでは、”脳が広がりすぎている人たち”と呼ばれる方たちですが、当時はまだそういった区分はなかったのです。

これは私の想像ですが、おそらくそういった目の”悪く”ない方たちは、それまでピーターさんのワークショップに来ることが少なかったのでしょう。

さすがだと思うのは、次にお会いした時には(2001年5月初旬)、脳を”収縮させるタイプ”と”脳を拡張させるタイプ”の2つにアプローチの仕方を開発されたことでした(後にミックスへのアプローチも開発されました)。

NO!がつきつけられた時、今まで自分が教えてきたものを頑なに守るのでもなく、だれかの助けになっていた自分のワークを否定するわけでもなく、ワークを発展させる、このスタンスには見習うところが大きいです。

もっとも、脳を収縮させる人は◯◯で。。というようなタイプ分けには、いささか閉口しますが。。。

 

実はこのワークショップの数日後に個人レッスンを受けることになっていたのですが、私は不注意で間違えて、1日遅れて行ったためレッスンを受けることができませんでした(ピーターさんごめんなさい)。

かなり落ち込みました。きっとさらに先にすすめるだろうと期待していましたから、

数日後ピーターさんの使っていた座禅用の坐蒲を仏具店街に買いに行った時に、交差点に斜めに見て、少し自分に時間を与えて、奥行きを意図した時に見えた光景は、これまでにないパノラマな光景で、

「ああ、だいじょうぶ。しばらくひとりでやれる」と思いました。

その頃は、アレクサンダーテクニークの教師トレーニングを受け始めてから1年半を過ぎた頃で、その前の週に、当時の勤務先の会社が倒産しました。

その後非常に忙しくなり(毎月過労死ラインを超える450時間以上働いていました)、翌年の4月下旬からは約半年間アレクサンダーの教師トレーニングを休まざるを得なくなりました。

とても苦しい状況でしたが、あの期間をかろうじて生き残ることができたのは、それまで学んできたアレクサンダーテクニークとあの時に受けたアイボディのレッスンと、周囲は決して余裕をくれませんでしたが、自分自身に余裕を与えることをし続けた私自身の意図の力でした。

そう言えば、2012年に仙台で、最初のアイボディのワークショップに一般の枠で参加されていた方と、私のアレクサンダーテクニークのレッスンで再会しました。立派になられていて、フェルデンクライスの先生になっていらっしゃいました。震災のときには報道カメラマンとしてもご活躍されたそうです。12年ぶりに再会できてよかったです。

その後もう10年以上ピーターさんやお弟子さんのマティアス・アードリックさんのレッスンを継続して受講しています。私のアレクサンダーテクニークの生徒さんも20名以上の方が受講されました。

アレクサンダーテクニークの学校のメルマガ

アレクサンダーテクニークから生まれたアイボディ・メソッドの本
アイボディ

2000年の10月、はじめてピーター・グルンワルドさんにお会いしました。彼はアレクサンダーテクニークの教師で、今日アイボディと呼ばれているワークの発見者です。当時はまだアイボディという名前ではなくて、eye reflex patternという名前だったような気がします。

木曜日の夜のクラスがあって、その後に金曜日の夜から、土日と、八王子の施設で一般から募った受講者の方たちといっしょにワークショップに参加しました。

私はひどい近視で、なにか糸口が得られたらよいなという小さい期待はありました。

また当時の私は、もちろんある程度自分自身で全身のコーディネーションを整えることはできましたが、たいていはmiddle backと英語で呼ばれる。おへその後ろ側の背中の辺りがうまく解放できずにいました。

うまくいくこともありましたが、うまくいかないことも多かったのです。

それは大きな課題でした。

ピーターさんの当時のワークショップでは、3Dの絵を眺めることをよくやりました。そう言えば、現在はしませんね。
最初は、全然立体にみえなかったものが、ピーターさんのサポートをいただきながら、3Dに見ることができるようになりました。

そして、暗い夜道にコテージに移動中にメガネを外すと、最初の夜は暗くて怖かったのですが、次の日からだんだんと慣れてきて、見えるようになって行きました。

またピーターさんが連れていらしたスイス人のアシスタントの女性からテーブルレッスンを受けましたが(たしかピーターさんが彼女にワークしながら)、あれも助けになりました(その女性のアレクサンダーテクニーク教師マージョリー・ファーンさんとは2004年にオックスフォードで再会します)。

だんだんと自分の目にチカラが戻っていくのを実感していました。

そして眼の奥行きを思い出していたら、解放するのがむずかしかった、背中のおへその後ろ側の辺りを解放できるようになっていたのです。

私はこのワークショップに満足しました。

アレクサンダーテクニークから生まれたアイボディ・メソッドはノーを突き付けられた後に進化した

しかし、あとで聞いたら、多くのアレクサンダーテクニークのトレーニーがそうでもなかったみたいでした。実際、ワーク中にもブーイングが上がったし、「途中で帰りたい」とおっしゃった方もいましたので。

その方たちに共通することがあって、遠視か遠視傾向のある方たちだったのです。今日のピーターさんのワークショップでは、”脳が広がりすぎている人たち”と呼ばれる方たちですが、当時はまだそういった区分はなかったのです。

これは私の想像ですが、おそらくそういった目の”悪く”ない方たちは、それまでピーターさんのワークショップに来ることが少なかったのでしょう。

さすがだと思うのは、次にお会いした時には(2001年5月初旬)、脳を”収縮させるタイプ”と”脳を拡張させるタイプ”の2つにアプローチの仕方を開発されたことでした(後にミックスへのアプローチも開発されました)。

NO!がつきつけられた時、今まで自分が教えてきたものを頑なに守るのでもなく、だれかの助けになっていた自分のワークを否定するわけでもなく、ワークを発展させる、このスタンスには見習うところが大きいです。

もっとも、脳を収縮させる人は◯◯で。。というようなタイプ分けには、いささか閉口しますが。。。

 

実はこのワークショップの数日後に個人レッスンを受けることになっていたのですが、私は不注意で間違えて、1日遅れて行ったためレッスンを受けることができませんでした(ピーターさんごめんなさい)。

かなり落ち込みました。きっとさらに先にすすめるだろうと期待していましたから、

数日後ピーターさんの使っていた座禅用の坐蒲を仏具店街に買いに行った時に、交差点に斜めに見て、少し自分に時間を与えて、奥行きを意図した時に見えた光景は、これまでにないパノラマな光景で、

「ああ、だいじょうぶ。しばらくひとりでやれる」と思いました。

その頃は、アレクサンダーテクニークの教師トレーニングを受け始めてから1年半を過ぎた頃で、その前の週に、当時の勤務先の会社が倒産しました。

その後非常に忙しくなり(毎月過労死ラインを超える450時間以上働いていました)、翌年の4月下旬からは約半年間アレクサンダーの教師トレーニングを休まざるを得なくなりました。

とても苦しい状況でしたが、あの期間をかろうじて生き残ることができたのは、それまで学んできたアレクサンダーテクニークとあの時に受けたアイボディのレッスンと、周囲は決して余裕をくれませんでしたが、自分自身に余裕を与えることをし続けた私自身の意図の力でした。

そう言えば、2012年に仙台で、最初のワークショップに一般の枠で参加されていた方と再会しました。立派になられていて、フェルデンクライスの先生になっていらっしゃいました。震災のときには報道カメラマンとしてもご活躍されたそうです。12年ぶりに再会できてよかったです。

その後もう10年以上ピーターさんやお弟子さんのマティアス・アードリックさんのレッスンを継続して受講しています。私のアレクサンダーテクニークの生徒さんも20名以上の方が受講されました。

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アレクサンダーテクニークから生まれたアイボディ・メソッドの本
アイボディ

2000年の10月、はじめてピーター・グルンワルドさんにお会いしました。彼はアレクサンダーテクニークの教師で、今日アイボディと呼ばれているワークの発見者です。当時はまだアイボディという名前ではなくて、eye reflex patternという名前だったような気がします。

木曜日の夜のクラスがあって、その後に金曜日の夜から、土日と、八王子の施設で一般から募った受講者の方たちといっしょにワークショップに参加しました。

私はひどい近視で、なにか糸口が得られたらよいなという小さい期待はありました。

また当時の私は、もちろんある程度自分自身で全身のコーディネーションを整えることはできましたが、たいていはmiddle backと英語で呼ばれる。おへその後ろ側の背中の辺りがうまく解放できずにいました。

うまくいくこともありましたが、うまくいかないことも多かったのです。

それは大きな課題でした。

ピーターさんの当時のワークショップでは、3Dの絵を眺めることをよくやりました。そう言えば、現在はしませんね。
最初は、全然立体にみえなかったものが、ピーターさんのサポートをいただきながら、3Dに見ることができるようになりました。

そして、暗い夜道にコテージに移動中にメガネを外すと、最初の夜は暗くて怖かったのですが、次の日からだんだんと慣れてきて、見えるようになって行きました。

またピーターさんが連れていらしたスイス人のアシスタントの女性からテーブルレッスンを受けましたが(たしかピーターさんが彼女にワークしながら)、あれも助けになりました(その女性のアレクサンダーテクニーク教師マージョリー・ファーンさんとは2004年にオックスフォードで再会します)。

だんだんと自分の目にチカラが戻っていくのを実感していました。

そして眼の奥行きを思い出していたら、自分ひとりでは解放するのがむずかしかった、背中のおへその後ろ側の辺りを解放できるようになっていたのです。

私はこのワークショップに満足しました。

アレクサンダーテクニークから生まれたアイボディ・メソッドはノーを突き付けられた後に進化した

しかし、あとで聞いたら、多くのアレクサンダーテクニークの訓練生たちがそうでもなかったみたいでした。実際、ワーク中にもブーイングが上がったし、「途中で帰りたい」とおっしゃった方もいましたので。

その方たちに共通することがあって、遠視か遠視傾向のある方たちだったのです。今日のピーターさんのワークショップでは、”脳が広がりすぎている人たち”と呼ばれる方たちですが、当時はまだそういった区分はなかったのです。

これは私の想像ですが、おそらくそういった目の”悪く”ない方たちは、それまでピーターさんのワークショップに来ることが少なかったのでしょう。

さすがだと思うのは、次にお会いした時には(2001年5月初旬)、脳を”収縮させるタイプ”と”脳を拡張させるタイプ”の2つにアプローチの仕方を開発されたことでした(後にミックスへのアプローチも開発されました)。

NO!がつきつけられた時、今まで自分が教えてきたものを頑なに守るのでもなく、だれかの助けになっていた自分のワークを否定するわけでもなく、ワークを発展させる、このスタンスには見習うところが大きいです。

もっとも、脳を収縮させる人は◯◯で。。というようなタイプ分けには、いささか閉口しますが。。。

 

実はこのワークショップの数日後に個人レッスンを受けることになっていたのですが、私は不注意で間違えて、1日遅れて行ったためレッスンを受けることができませんでした(ピーターさんごめんなさい)。

かなり落ち込みました。きっとさらに先にすすめるだろうと期待していましたから、

数日後ピーターさんの使っていた座禅用の坐蒲を仏具店街に買いに行った時に、交差点に斜めに見て、少し自分に時間を与えて、奥行きを意図した時に見えた光景は、これまでにないパノラマな光景で、

「ああ、だいじょうぶ。しばらくひとりでやれる」と思いました。

その頃は、アレクサンダーテクニークの教師トレーニングを受け始めてから1年半を過ぎた頃で、その前の週に、当時の勤務先の会社が倒産しました。

その後非常に忙しくなり(毎月過労死ラインを超える450時間以上働いていました)、翌年の4月下旬からは約半年間アレクサンダーの教師トレーニングを休まざるを得なくなりました。

とても苦しい状況でしたが、あの期間をかろうじて生き残ることができたのは、それまで学んできたアレクサンダーテクニークとあの時に受けたアイボディのレッスンと、周囲は決して余裕をくれませんでしたが、自分自身に余裕を与えることをし続けた私自身の意図の力でした。

そう言えば、2012年に仙台で、最初のワークショップに一般の枠で参加されていた方と再会しました。立派になられていて、フェルデンクライスの先生になっていらっしゃいました。震災のときには報道カメラマンとしてもご活躍されたそうです。12年ぶりに再会できてよかったです。

その後もう10年以上ピーターさんやお弟子さんのマティアス・アードリックさんのレッスンを継続して受講しています。私のアレクサンダーテクニークの生徒さんも20名以上の方が受講されました。

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アレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこのレッスン
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ABOUT US
かわかみ ひろひこアレクサンダーテクニークの学校 代表
第3世代のアレクサンダーテクニーク教師。2003年より教えている。 依頼人である生徒さんへの共感力、課題改善のための活動の動きや言葉に対する観察力と分析力、適確な指示、丁寧なレッスンで定評がある。
『実力が120%発揮できる!ピアノがうまくなる からだ作りワークブック』、『実力が120%発揮できる!緊張しない からだ作りワークブック』(ともにヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)の著者。
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