2006年8月 須走口から見た富士山

2006年8月 須走口から見た富士山

もう14年くらい前になりますが、あるアレクサンダー教師が、アレクサンダーテクニークが長い時間語りました。

 

アレクサンダーテクニークはとても役立つものなのに、なぜ世間から受け入れられないのか? 

 

そして、どんなに教師たちが頑張っても、けっしてお仕事にはならないのか?

 

 

横で聞いていて、まったくその通りだと思いました。話の筋が通っています。彼は本当に頭がよいと思いました。

けれど、私はまったくその話を信じませんでした。

 

14年経って、その人はその人の先生のワークショップのアシスタント以外はほとんど教えていないそうです。

その一方で 私は専業で教えています。

 

彼は”正しかった”のです。しかし、彼が言ったことは世間の目です。あるいはメタ認知とも言います。でも、私たち自身がそう思ったら、もうなにもできません。

 

おそらく、彼はアレクサンダーテクニークの原理を理解できていなかったのではなかったかと思います。

アレクサンダ-のレッスンでは、自分自身を、そして生徒さんを「ジャッジしない」とよく言います。これは私たち自身に余裕を与えるためで、アレクサンダーテクニークのインヒビションの原理から派生的に導き出されます。

 

インヒビションについては、こちらをご参照ください。

 

状況によっては、「ジャッジしない」というのは、素(す)から離れるっていうことではないかと思います。

 

昨年は日本音楽療法学会の学術大会で250名の方の前で講演しましたし、今年の10月には太宰府で300人のピアノ講師の前で講座をしますが、素ではとてもできません。

 

かの発言をしたアレクサンダー教師は社交的で友だちも多い。私はどちらかと言うと、人付き合いが苦手です。 でも、性格にかかわらず、活動するときには、それに適した状態になる必要があります。例えば、レッスンをするときに、お仕事の計画を立てるときに、あるいはそれ以外のときであっても、私自信の性格がうまく行かないことの理由にはけっしてなりません。なぜならば、私にはアレクサンダーテクニークがあるからです。

 

これからのお仕事の計画を立てるときに、妙に内省的になったら、なにも物事は進みません。なにしろ私たち自身がなにもしないのですから、進みようがないのです。

 

実際に行動した後で、素に戻ったときに、いくらでも後悔しても、内省的になっても、自虐的になっても、その人がまた素から離れて行動し続けさえすれば、結果はついてきます。やることに決めたら、アイディアも出てきます。なにもせずに賢く頭脳を働かすだけでは、世間に対するアクションがないのですから、世間から反応は返ってきません。

 

 

もし世間にアレクサンダーテクニークがまるで知られなくても、私たち自身をじゃましている私たち自身がやっている癖(くせ)をやめていくというアレクサンダーテクニークのプロセスが、例え世間の方たちから分かりにくかったとしても、それでも、理解する方たちがゼロではなければ、どなたかには届きます。そのうちの数パーセントの方はレッスンに来てくださります。

そしてそのなかの何人かはレッスンを継続されて、アレクサンダーテクニークを身につけられるのです。

 

もし、アレクサンダーテクニークが世間に知られるようになってきて、本を書く人が現れたり、仮に超有名大学で教え始めたとしても(、その方たちだけにお仕事が集中するわけではけっしてありません。たいへんありがたいことに、

 

スターウォーズのマスター・ヨーダがおっしゃったように、「できるかできないかではなくて、やるかやらないか」です。

 

やることを決める。そして、考える。できることを、興味があることを、やりたいことをせいいっぱい続ける。
今までも、これからも。